えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

戦略信頼性主義(3):なにが解くべき問題なのか Bishop and Trout (2005)

Epistemology and the Psychology of Human Judgement

Epistemology and the Psychology of Human Judgement

  • Bishop,M. and Trout, J. (2005) *Epistemology and the psychology of human judgment* (Oxford University Press)

1. 手札を見せる
2. 統計的予測規則の驚くべき成功
3. 向上心理学から認識上の教訓を汲み取る
4. 戦略信頼性主義:ロバストな信頼性
5. 戦略信頼性主義:卓越した判断のコストと利益
6. 戦略信頼性主義:認識的重要性 ←いまここ
7. 標準的な分析的認識論の問題点
8. 認識論を実践へ:心理学における規範性論争
9. 認識論を実践へ:積極的なアドバイス
10. 結論
補遺

・【やること】B&Tの見解では、問題の「重要性」は幸福のための要請されるものと密接な関係をもつ。後者は、既にみたように、驚くべきもの・内観出来ないものであるため更なる経験的知見は必須だが、ここでは重要性に関して枠組み的な説明を与える。

1 戦略信頼性主義における重要性の役割

・状況が簡単な場合は重要性の理論など必要ない。しかし難しい状況の多くは、「不明確」な状況でもある。つまり、重要性に関するセンスが求められる以前に、選択肢に関して情報が足りない状況である。この時も重要性の理論は役に立たない。かくして、個別事例の事を考えると、認識論にとって本当に重要性は必要か、と懸念が生じる。
・しかし必要である。認識論は推論に関して便利で一般的なアドバイスを与えるのだから、重要性に関して「一般的な」判断を含むだろう。例えば、「推論者一般」にとってどんな「種類の」問題が重要なのだろうか? 日常生活の中では、例えば因果的推論問題を精確に解くことで多くの痛みや悲惨を回避する事が出来る。そこで重要性をベースにした認識論なら、因果的推論には資源を割くように、と推奨する事が出来る。
・こうした一般的な真理はまた、我々が重要性に関してもつバイアスを明らかにし、代替案を勧めるという営みにとっても重要である。

2 重要性に関する理由ベースのアプローチ

・重要性の理論を作るに当たっては次のような制約がある。
【薄さ濃さ問題】何が重要かに関して個人間/制度間での実質的な違いをみとめつつも(薄い)、「なんでもあり」の主観主義は避けなければならない(濃い)。
・そこでB&Tは、「Sにとっての問題の重要性は、その問題を解くために資源を割くことに関して、Sが持つ客観的理由の重さの関数である」と考える(客観:本人の認知にかかわらない)。従って、基本的な道徳的義務によるような理由は普遍的であり、どういう問題が重要かに一定の制限を加える。一方で、当人の職業上の義務から来るような理由は人様々であり、問題の重要性の多様性を許す。
・例えば、医者は診断を上手くこなす客観的な道徳的およびプルーデンス上の理由があるので、医者にとって診断の問題は非常に重要である。この客観的理由は、推論の帰結と(部分的に)結び付くだろう。ただし帰結に関係なく、社会的役割から来る道徳的・職業上の義務から来る客観的理由(大学教授は、生徒に良く教えること資源を割く義務を持つ)や、特定の問題(例えば世界の物質的基礎の探求)に取り組む正当な(客観的な)認識的理由も存在する。

  • 【懸念1】指の爪の長さを観察し続けるなど、重要ではないことに関心を持つ人に対して何を言うのか? 関心は主体に客観的理由を与えるのではないか?

・その原理は認めるが、それは理由の強さに関しては何も言わない。重要な問題よりもあまり重要でない問題に資源を割くのはやはりまずい推論である(あるいは病理である)

  • 【懸念2】現在の健康保険制度の適切性について考えるといった、推論者自身が対象に因果的影響を及ぼす事が出来ないだろう問題は、その人にとって重要か?

・その種の問題を重要にする客観的理由が2つある。一つは、重要な主題に関して情報を得ておかなければいけないと言う市民的義務である。この事は、民主主義の社会において制度をポジティヴに変えるために必要である。
・もう一点、我々のアリストテレス的な認識論に基づけば、よき推論者であるためには有徳な人物でなければならないだろう。そして、敢えて言うが、社会の正義について真剣に考える事は、徳のある人の特徴の一つである。

  • 【懸念3】既に、特定の種に問題に取り組むと不幸になる事例を見たが、こうした場合には資源を「割かない」客観的理由があるだろう(「否定的に重要な」問題)。B&Tの重要性の説明は、究極的には「何が人間の幸福を導くのか」に関する判断に基づいているが、幸福に寄与する条件は多様過ぎて体系的に研究したり一般化したりでき〔ず、問題の重要性の理論も作れないのではないか〕。

・楽観的でいいと思われる。確かに人間の幸福の諸条件には文化や個人を通じて様々ではあるが、一般化の方向も発生・進化生物学から探られている。例えば、基本的な条件の中に健康・社会的愛着・身の安全・重要な課題の追求が含まれるとことには大きな証拠がある(Diener and Seligman 2002, Myers 2000)。さらに、収入や雇用状況、インフレなども幸せに持続的影響を与える。こうした条件に関する経験的知見は、重要な問題の幅に大きな制限を加えるだろう。

3 客観的理由が手に入らない可能性について

・我々には、問題の重要性が分からない場合や、何故重要なのかについて誤る場合がある。この点を考えると、B&Tの認識論は推論改善の役にはたたないのではないか?
・そうではない。まず、これは有用な助言を目指す理論全てにとっての問題であり、B&Tの問題と言うより人間の条件の不幸な特徴である。
・次に、重要性は「一般的な規則として」重要な問題を解決できそうな推論戦略にリソースを割くために導入されたのだった。これは、卓越した推論戦略を勧める認識論にとって統制的な役割をもつ〔にすぎない〕のである。
・資源の分配の必要性は、卓越した推論者に対し、人間の繁栄に仕えるような<優先順位>の設定を求める。しかし、明示的に優先順位の配列を行わずとも、我々は自然と重要な問題に向かうこともある〔のであり、この時重要性へのアクセスは問題にならない〕。例えば子供を産む決定は愛ある関係の自然な産物だし、調和ある肉体は楽しいスポーツの自然な結果である。
・また、制度も、適切な訓練や手続き、(非)形式的な賞罰よって、〔個々人の推論を助けることができるのであり、アクセス不可能性は個人だけの責任問題ではない〕
・アクセス不可能性の反論はより一般的な問題の一例であるといえる。すなわち戦略信頼性主義は、現在の経験的知識によって制限を受けている。〔その一例として、現在の我々にはアクセスできない重要な問題があるかもしれないのである。〕しかしそれでも戦略信頼性主義は多くの従うべき助言をすることができる。
・人々が助言に従う事を保証する事は出来ないが、この点も問題ではない。認識論はマニュアルのようなもので、読んでも知識やスキルによっては助言に従えない人がいる。
・また、マニュアルは広く利用可能でなければ何の意味もない。だからこそ、B&Tは認識論が他の科学と並んで広い社会制度の中に組み込まれるべきだと主張するのである。
・認識論における重要性の重要性を認識する事は、人々がどういう種の問題を重要・重要でない・否定的に重要、と見なしがちなのかという経験的問題を提起する。これらは追求するに値するだろう。重要性は経験的問題であり、B&Tの認識論が出来る最善の事は、<重要な問題に関する推論戦略を勧める>という点を確保しておくことである。

4 結論

〔省略〕