Sociality and Responsibility: New Essays in Plural Subject Theory
- 作者: Margaret Gilbert
- 出版社/メーカー: Rowman & Littlefield Pub Inc
- 発売日: 2000/02
- メディア: ハードカバー
- この商品を含むブログ (1件) を見る
- Gilbert M (2000) "The Idea of Collective Guilt" in her Sociality and Responsibility Chap 8
1. 序論:道徳的責任の実践的重要性
因果的責任は道徳的責任の必要条件。道徳的責任はなにかを意図的に行った行為者の責任である
2. <集団の罪>言明
日常的には、国家や、組合や家族などに罪があったという言明がおこなわれる。
3. 集団の罪に関する哲学的懐疑論
しかし、集団の罪という観念には懐疑論が存在する
i. 還元主義の批判
・集団に罪があるということは、メンバー全員に罪があるということだと主張
→集団それ自体の罪なるものは存在しないとする
ii. 反全体論者の批判
・集団の罪とはまさしく集団自体が持つ罪だと認める
→しかし個々のメンバーを超えた集団それ自体なるものは知解不可能だと論じる
4. 集団の罪というアイデアへの積極的なアプローチ
全体論的だが知解可能な<集団の罪>理解へ
5. 個人の道徳的責任
まず個人の道徳的責任とはなにか。直観的に言って次の条件が必要
(1)何かをしている
(2)それを強制によらず自由にしている
(3)やったことが悪いことだと信じている
6. 集団の道徳責任: 準備
同じように考えると、集団に道徳的責任があるためには次の3つが可能でなくてはならない
(1)集団の行為
(2)集団の行為が強制によらず自由に行われていること
(3)集団の信念
7. 集団の行為:哲学的説明
i. 序論
〔省略〕
ii. 一緒に歩く
集団の行為の例:ふたりで「一緒に歩く」
二人で一緒に歩く場合、普通はそのことに関して何らかの種の合意がなされている。しかしなされていない場合もある。
iii. 共同コミットメント
・ここで真に重要なのは「共同コミットメント」の形成である。「共同コミットメント」とは二人以上の人のコミットメントである(個人的なコミットメントの集合ではない)。
・個人的に何かにコミットメントした場合には自分がそれを行う理由があるように、何かに共同コミットメントした場合には、各々のメンバーにそれを守る理由がある。
・XとYが何かに共同コミットメントしたとき、XとYはそれに関して複数的主体を構成していると言うことにする。
・共同コミットメントには2種類のレベルがある
【基礎レベル】基礎レベルの共同コミットメントを生み出すには、そのコミットメントをする準備があるということを相互に表出している必要がある。
【派生レベル】特定の人物が何らかの計画をみんなのために建てることに基礎レベルで共同コミットしている時、該当者が関係する計画を告知することで、他の人はその計画を全体として受け入れることに派生的に共同コミットメントしていると言える。
iv. 共同コミットメントの働き
・共同コミットメントにより、他の人がそれに従って行為するだろうということが確保される
・その裏返しとして、自分は一方的にそのコミットメントを取り去ることはできない
・全てのメンバーが目的を個人的に欲しなくなった場合には、共同コミットメントを<一緒になって>撤回することが<ありうる>。
v. 集団の行為:大まかな説明
集団の行為が存在する
iff
特定の人の集りのメンバーが、特定の目的を全体として追求することに共同コミットメントしており、そのコミットメントに照らして、(全員ではないかもしれないが)関連するメンバーが、その目的を達成するのに成功裏に行為している。
・人々は、特定の人/集団がその人々の目的を設定し実現するということに基礎レベルのコミットメントをしている場合がある〔代表制〕。この場合、多くの人が集団の計画などを知らないことがありうるが、その場合でも多くの人は「それは我々がやった」ということが出来る
・また、自分のグループが何をやっているか知っておりそれに抗議している人も「我々がやった」と言うことが出来る。彼らはグループの内部から変化を促しているのである。
8. 集団の行為における自由
・集団の目標設定者が、自由に目標を設定した場合と、何らかの強制によって目標を設定する場合が考えられる。
後者では集団全体の行為が自由/強制されていないものだとは言い難い。
9. 集団の信念
信念を持った集団が存在する
iff
特定の人の集りのメンバーが、何かを全体として信じるに共同コミットメントしている
10. 集団の道徳的責任
以上により、<集団の道徳責任>という意味で<集団の罪>に説明が与えられた。
ポイントは、以上の理解の集団の罪を主張しても、個人の罪に関しては何の含意も持たないという点。
個人にどのような責任があるかは、別途個人が何をどのようにしたかを検討する必要がある。
11. 集団の罪の重要性
(個人にどう責任があるかはおいておいて)上記の集団に責任の条件が満たされていることを知ったら、集団の内外の人はその知識に基づいて様々に行動しうる
(例:個々のメンバーをより人道的に扱おうとするかもしれない)
→集団の道徳的責任という考え方は実践的重要性をも持つ