えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

ケアードのトレンデレンブルク批判 Caird (1889)

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  • Edward Caird (1889). The Critical Philosophy of Immanuel Kant. Vol. 1. Glasgow: James Maclehose & Sons
    • 第1巻 純粋理性批判
      • 第2章 感性論
        • カントのジレンマを抜け出そうとするトレンデレンブルクの試み(pp. 306-307)

 トレンデレンブルクは、空間と時間は精神のアプリオリな性質である(主観的であると同時に、それは(現象だけでなく)物自体についてもあてはまる(客観的である)と指摘し、カントがこの可能性を見逃していると論じている。

 だがカントは、この「第三の道」を見逃しているのではなく、むしろ議論の必然性によって排除しているである。

 カントの議論は次のように進んでいる

  • 仮定:個々の対象はそれがもたらす感官の変容を通して与えられる。
  • 議論1:時間や空間は、対象がもたらす感官の変容ではなくて、感官自体の本性に由来する。
  • 議論2:こうした時空のアプリオリな主観性によってのみ、対象への普遍的で必然的な法則の適用が可能になる。

 もし時空が物自体に属する(超越論的に実在的)場合、それについての知識は、実際に知覚されている個物にしか当てはまらないことになる。つまり、普遍的・必然的な知覚の原理ではなくなってしまう。時空の超越論的実在性は、時空の経験的観念性を含意してしまうのだ。

 トレンデレンブルクが主張するように、時空が超越論的に実在的であるだけでなく経験的にも実在的だとすると、物自体のありかたとそれが知覚される主観的形式に予定調和が成立していることになる。だが、この主張は意識の範囲を超えており無意味である(『プロレゴメナ』§13, 注2)。