えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

遷延性植物状態と最小意識状態で治療停止の是非は異なるか? Wilkinson & Savulescu (2013)

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  • Dominic Wilkinson & Julian Savulescu, (2013), "Is It Better to be Minimally Conscious than Vegetative?", Journal of Medical Ethics, 39(9), pp. 557–558.

 ある患者に対する人工栄養補給停止の是非が争われた裁判のなかで、患者が遷延性植物状態(PVS)ではなく最小意識状態(MCS)であったことを根拠に、栄養補給を続けるべきだったという判断が下された。しかしこのようにPVSとMCSを区別する根拠は、以下のようにどれも十分なものではない。

  • (1) 予後の良さ

 いくつかの研究によれば、PVSはMCSと比べて確かに予後がよい。しかし、状態改善が見られるMCS患者の割合や回復の度合いには限界があるのも事実だ。したがってこの論点から言えることは、MCSにおいてはPVSよりも治療停止の決断を下すまでの時間を長くとるべきだ、程度のことでしかないだろう。

  • (2) 意識の有無

 PVS患者と異なりMCS患者には意識があるため、そこから何らかの利益を得ているかもしれない〔。したがって、治療停止によってそれを奪うべきではない〕。だがここでは逆に、MCS患者には痛みのような否定的経験がある可能性をも考慮しなければならない。実際ニューロイメージング研究によると、MCS患者の痛みに対する脳活動のパターンは、完全に意識ある被験者と同様であり、PVS患者よりかなり大きい。すると問題は、ネガティヴな経験の強さや長さが、ポジティヴな経験のそれを上回っているか否かという点になるだろう。深刻な苦痛や有意味な快があるとわかっている場合は、確かに治療の停止/継続の根拠になるかもしれない。しかし患者の経験の性質について不確実な場合、意識があるということだけでは治療続行に賛成する理由にも反対する理由にもならないだろう。

  • (3) 現在の希望の伝達可能性

 PVS患者とは異なりMCS患者は、高度な技術が発展した場合、自身の希望を伝達することができるかもしれない。この場合、自律性を重視し、治療のありかたは患者本人が決めるべきだろう。しかし現在のところそうした技術はないし、さらにいわゆる「隠れた認知」(covert cognition)はMCS患者の一部にしか見られないようだ。

  • (4) 過去の希望

 仮にある人が、あらかじめ、「PVSになったら治療をやめてほしいがMCSであれば治療を継続してほしい」と言っていたとしよう。これは両状態での治療方針を区別する一つの根拠になるだろう。しかしもちろん、MCSよりPVSの方が悪いと考える人もいるかもしれないし、両者を区別せずどちらも等しく悪いと考える人もいるかもしれない。

  • (5) 配分的正義

 ここまでの検討から、MCSがPVSよりも患者にとって良い状態とは考え難い。その上で、もし両者の治療コストに差があるならば、配分的正義の観点から言って、両者の治療方針を区別することには根拠があるだろう。しかしながら、MCS患者の長期のケアのコストがPVS患者のそれより低いと考える理由はない。また、仮にMCS患者の延命に何らかの利益があると仮定しても、その大きさは、同じ医療資源を別の仕方で使う場合に得られる利益よりも小さいだろう。


 確かにMCS患者の一部は、(1)〜(4)の観点から言って、PVSと異なり治療を継続すべきだと言えるかもしれない。しかし、MCSがPVSより必ず良い状態だとは言うことはできない。さらに(5)配分的正義を考慮すると、治療を中止すべき場合もあるだろう。