えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

人を殺すことは悪くない。まったく何もできない状態にするのが悪い Sinnott-Armstrong & Miller (2013)

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  • Walter Sinnott-Armstrong & Franklin G. Miller (2013), “What Makes Killing Wrong,” Journal of Medical Ethics, 39, 3–7.
  • 問題
    • AがBを銃で撃って殺した時、なぜAの行為は悪いのか?
      • AはBに危害を加えた(harm)からだ。しかし、どういうタイプの危害なのか。
      • 「死」 or 「全面無能力」(Total Disability: あらゆる行為能力を不可逆的に失った状態のこと)
        • 死は全面無能力を含意するが、逆は成り立たない。


  • 著者の見解
    • Aの悪さは、全面無能力によって完全に説明される。
      • 全面無能力状態にあるほうが、死よりマシ(better off)だなんてことがあるのか?
        • いや、ない(直観的に考えて)
        • ※全面無能力の人は、経験は持つが、それは苦でも快でもないものする
    • この立場の利点:道徳を単純化
      • 殺しを禁じる規則+無能力化を禁じる規則 → 無能力化を禁じる規則


  • 反論と応答
    • 反論タイプA:殺しを禁じる規則を擁護するもの。全面無能力状態のBでも、殺すのは悪い。なぜなら....
      • (A-1) 帰結ではなく、Aの意図の方に焦点を当てるべきだから
        • (応答) それでも状況は変わらない。Bを無能力にしようという意図だけで、殺しの悪さを説明するのに十分である。
      • (A-2) Bを殺すことは、他の人(友人など)に危害を加えることになるから
        • 応答:友人がBの死をより悪いものだと思うか、自明ではない。また、仮にそう思ったとしても、それは死そのものが原因ではないかもしれない。
      • (A-3) 殺しを禁じてきた道徳や宗教の伝統を尊重すべきだから
        • 応答
          • (i) 伝統的なルールは単純化されたものだったのかもしれない(医療技術が発達するまで、殺さずに人を全面無能力化することはほぼ不可能だったので)
          • (ii) どの伝統も、全ての生物を殺すことは禁じていない。人間を殺すことを禁じている。しかしこれは、人間の能力こそが重要だということだ。
          • (ii) 世俗的な道徳理論を好む人にはこの反論は無力である。


    • 反論タイプB:無能力化を禁じる規則を退けるもの
      • (B-1) この規則は、障害を持つ人に対する否定的なステレオタイプを強化する
        • 応答: この規則がそうしたネガティヴな評価を含意するということはない。障害を持つ人は全面無能力者ではなく、価値ある能力を持っているからだ。
          • それどころかこの規則は、能力が失われている人に対する様々な支援を正当化するものであり、障害を持つ人をかえって助ける。
      • (B-2) この規則は不平等な帰結を持つ。人の能力に応じて、殺人の悪さが変わることになるからだ。
        • 応答:いくつかの対処方法がある
          • (i) 閾値を定め、一定以上の能力の差異は問題にならないとする
          • (ii) 正義や公正といった別種の価値に訴えたり、残っている能力の価値に訴え、不平等を上書きする
          • (iii)帰結を受け入れ、しかしそれは問題ではないと論じる。
          • (iv)またそもそも、同じ問題は別の(2種の規則を認める)立場にも生じる
            • なぜなら、その立場も無能力化を禁じる規則を含むので。
            • さらに、殺しを禁じる規則にも、同じような不平等の問題があるかもしれない。
              • 殺しの悪さが人生を縮めるところにあるなら、被害者の年齢に応じて殺人の悪さが変わる


  • 応用
    • 伝統的な医療倫理には、生命維持に必要な臓器の臓器提供にかんして不整合がある。
      • 医師は、患者を絶対に殺してはならないことになっている。しかし臓器提供の現場では、医師はドナーを殺している。
        • この不整合を取り除くために、伝統的には「死」の定義を変え、殺していないことにする試みがなされてた
          • しかしそれはうまくいっていない(Miller & Truog 2012)
    • 他方で著者らの見解はこの不整合を取り除ける。
      • そもそも、ドナーを殺すことは悪くない。
        • なぜなら、現状、ドナーは脳死患者などすでに全面無能力状態の人だからだ。
      • ドナーを全面無能力者に限定すれば、積極的安楽死、自己犠牲的臓器提供その他の「滑りやすい坂」事例に対しても明確な基準で対処できる