えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

本来性を重視させると道徳も重視される Kim, Christy, Rivera, Schlegel, and Hicks (2018)

https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S002210311730519X

  • Jinhyung Kim, Andrew G. Christy, Grace N. Rivera, Rebecca J. Schlegel, and Joshua A. Hicks (2018). Following one's true self and the sacredness of cultural values. Journal of Experimental Social Psychology, 76: 100–103.

 「道徳基盤の神聖性尺度」(MFSS)は、様々な領域の道徳違反について、お金をいくらもらえばそれを行なうかを尋ねる質問紙だ。これによって被験者が、道徳のそれぞれの領域をどのくらい神聖視しているかがわかる(MFSSについてはこちらの記事も参照)。他方、近年の自己にかんする研究によると、私たちは「本来の自分」(真の自己:true self)は道徳的に善良であると考えている。

 そこでこの研究では、本来性が強調された文脈において人は道徳の神聖性を高く見るのではないかと仮説した。実際、本来性を重視するように教示した上でMFSSに回答させると、その他の教示を与えた場合(合理的思考(Study 1)や直観的思考(Study 2)、また現実性(Study 3)を重視させた場合)と比較して、より高い金額がもらえなければ道徳違反には手を染めないという回答が引き出された。また、Study 4では被験者に対し、本来性を重視する文脈にある他人について、いくらもらえば道徳違反をすると思うかを尋ねた。これによって自己奉仕バイアスを低減させた状態でもやはり、本来性の強調と道徳の神聖視に相関が見られた。

 以上から、自分自身についても他人についても、本来的な応答が求められている場合には不道徳な行為をよりしたがらなくなる、と人は考えていることがわかった。

 ただし一点だけ例外があった。「権威」の領域については教示間で差が少なかったのだ。この点について著者らは2つの仮説を提示している。[i] そもそも権威違反は重大な道徳違反だと考えられていないのかもしれない。実際、権威違反は比較的安い金額で引き受けられる傾向がある。ただし、権威を道徳的に重視している人に話を限っても条件間での差は見られなかったことが同時に報告されている(注1)。[ii] 本来的であることと権威に従順であることは両立しないと被験者は考えているのかもしれない。