えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

物語的な自己観と私たちの本質主義的な知覚 Morar and Skorburg (2017).

https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/21507740.2017.1326409

  • Nocolae Morar & Joshua August Skorburg. (2017). Relational Agency: Yes—But How Far? Vulnerability and the Moral Self. AJOB Neuroscience, 8(2): 83−85.

 自己についての「関係的」・「物語的」な見方によれば、人の自己というのは、それについて他人がどう考えるかによって部分的に構成されています。こうした見解は、自己には何らかの本質があるとする本質主義的な考え方に反対するものとして提示されています。しかしながら、経験的研究が示すところによれば、私たちは自己について本質主義的な考えかたを実際しています。そうすると、物語的な自己観は、その当初の企図とは裏腹に、結局本質主義的な自己を肯定するものになってしまうのではないでしょうか。もちろん、この種の経験的研究をそれ自体でみれば、それは自己について「私たちがどう考えるか」を明らかにしたものであり、自己が「何であるか」を明らかにしたものではありません。しかし物語的自己観は、「どう考えるか」によって「何であるか」が決まるとするために、上記の問題が噴出してしまいます。(pp. 84−85)

 これは非常に高い一般性をもった論点だと感じます。多くの領域で、そのものの何であるかはあらかじめ定められたものではなく、私たちがどう考えるかによって決まる、というアイデアが提起され、そしてそのアイデアは開放的な響きをもつものとして受け止められてきました。しかし私たちの思考そのものが、あらかじめ定められたものというアイデアの方を肯定するとしたら、その開放的な響きはどうなってしまうのでしょうか。そしてここでもう一つ考えたいのは、本質主義的な思考に抗わなければならないと感じられる時とは、おおむね、本質主義的思考が人々のあいだに浸透し影響力を持っているとも感じられている時だということです。