- 作者: 唐沢かおり
- 出版社/メーカー: 東京大学出版会
- 発売日: 2017/07/27
- メディア: 単行本
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- 唐沢かおり (2017). 『なぜ心を読みすぎるのか』(東京大学出版会)
- 第1章 対人認知を考える視点
- 第2章 性格特性から見る評価の役割
- 第3章 行動の原因としての心
- 第4章 心の推論方略
- 第5章 人間としてみる ←いまここ
- 第6章 道徳性の根拠としての心
- 第7章 互いにみきわめあう私たち
- 他人にどのような心を帰属させるかは私たちがその人に対しどのように振る舞うかに影響する。
- この点を本章では、他人を「人間として」見ることに注目して考察する
- 外集団に対するネガティヴな態度や攻撃行動の背後にある過程としての「非人間化」(dehumanization)
- 人間は他人への加害を抑制するメカニズムを社会化の過程で身につける(バンデューラ)。だがこうした抑制は、他人を人間としてみないこと(非人間化)によって鈍化する。
- 「人間として」見るとは、具体的に何を認知することなのか?
【Haslam 2006】
- 人間をモノおよび動物から区別する特徴に注目。被験者に様々な特性を提示し、「人間の本性をあらわす程度」や「他の動物に当てはまらない人間独自のものである程度」を測定し、分析。
- 「人間の本性」(⇔モノ):感情的、情熱的、好奇心が強い、自立的、想像的……
- → 主観や感情に関する特性
- 「人間の独自性」(⇔動物):理念的、理性的、話し好き、分析的……
- → 高度な認知機能
- 「人間の本性」と「独自性」に対応して、2つの非人間化がある
【モノ化(「人間の本性」が欠如していると見なされる)】
- 他人を、情緒や意志を欠いた機械のようにみなす。共感が抑制される
- 例1:女性に対する取り扱い
- 例2:テクノロジー社会における人間
- (ただし、「モノ的な心性を獲得してしまう」という議論が多く、人をモノとして見るという視点からの研究は少ない)
- ただし、モノ化には合理的側面もある
- 社会の中で適応的に生きるには、道具的な意味で有用な他者を見極める必要があるからだ。
- 権力者ほど他人を道具的に見がち(Gruenfeld et al., 2008)
- 実験的に権力を行使する感覚を与えられた被験者は、行使される感覚を与えられた被験者よりも、パートナーとして課題解決に向いた特性をもつ人物を選択し、好意をもちがち。
- 社会の中で適応的に生きるには、道具的な意味で有用な他者を見極める必要があるからだ。
【動物化(「独自性」が欠如していると見なされる)】
- 他人を、理性や合理的判断が働かない未熟で粗野無し存在だとみなす。
- 例:戦争などで敵対する外集団は動物として描かれがち
- 高次な感情は内集団に、基本感情は外集団に潜在的に連合している(Gaunt et al., 2002)。
- 洗練された感情を示す内集団メンバーには援助が向けられがちだが、該集団メンバーはむしろ回避されがち(Vaes et al., 2003)
- 非人間化によって道徳的コミュニティから排斥された側は、どのように反応するだろうか?
- ヴァーチャルなゲームによって被験者に排斥感を生じさせた後、自分や相手に対して印象評定させると、相手はもちろん自分についても「人間の本性」が低く評定される(Bastian & Haslam 2010)。
- ネガティヴ感情を感じない人間だと自らを意味づける自己防衛的戦略だが、排斥状態の正当化につながる危険性もある。
- ヴァーチャルなゲームによって被験者に排斥感を生じさせた後、自分や相手に対して印象評定させると、相手はもちろん自分についても「人間の本性」が低く評定される(Bastian & Haslam 2010)。
- 「人間として」見ることと道徳的地位の関係は、より複雑である。
- 高い人間性を持つと見なされる者は、その分だけ高い道徳的基準を期待される。
- 人間としての特性をもたない未熟な存在、弱い存在はかえって道徳的に配慮されることもある
【Bastian et al., 2011】
- 被験者は、様々な社会的カテゴリーの人々の「人間の本性」・「独自性」の程度を評定する。さらに、そうした人々に対してどのような道徳的態度を採るかを評定される。
- 「人間の本性」は,不当な扱いからの保護の必要性と逆相関
- 「独自性」は、道徳的期待の高さと相関
- 人間の本性が低く独自性が高いと評定される人々(職業的プロフェッショナルなど)は、非道徳的行動に対して厳しく批判される
- 人間の本性が高く独自性が低いと評定される人々(子供など)は、道徳的行動に対して大きく賞賛される
- 「人間の本性」と「独自性」の二次元の認知が、他人に対する道徳的なかかわり合い方を決定している。