えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

感覚器官の猛烈な興奮と痛みの連合 Carpenter (1876)

https://archive.org/details/principlesofment00carprich

  • Carpenter, W. B. (1876). Principles of mental physiology : with their applications to the training and discipline of the mind, and the study of its morbid conditions. London: Henry &Kings

§154
 個別の感覚には、痛みないし快の感じが結合している。このことを説明するには、これらの感じは私たちの本性の本来の法則によって感覚と必然的に結合するという原理に訴える他ない。一般的規則としてこう言えるかもしれない。どの感覚も、その猛烈な[violent]興奮は不愉快[disagreeble]なものである。たとえ同じ感覚が中程度であれば極度の快を生むとしてもそうなのだ、と。このことは、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、どの器官によって伝達される印象についても、また共通感覚の神経を通じて受けとられる印象にも、やはり等しく当てはまる。そして、猛烈な興奮と痛い感じの連合によって、個体は有害な結果をもたらしそうなものから離れることができる。たとえば、皮膚の表面に対して猛烈な圧力が加わったり熱い物体を近づけたりするときのに生じる痛みは、損傷の可能性があるという警告を発するもので、有害な原因の影響からその身体の部位を遠ざけるような心的活動を生じさせる。このことは、感受性[sensibility]の喪失は深刻な損傷の間接的原因になりがちであると事実によって示されている。この場合個体は、有害なプロセスが生じているぞという通常の警告を受けとれなくなってしまっているのだ。また別の例をあげれば、失神した際に気道にアンモニア性の気体が流入してしまうと粘膜に猛烈な炎症が生じるが、これは失神によって人が刺激感という通告を受けとることができなかったからで、神経系が活動状態にあれば、有毒物質をまともに吸い込むのを刺激感のおかげて妨ぐことができるのである。

§155
 一般的でない感覚が引き起こした痛みもしくは快の感じは、〔有機体の〕システムがその感じに馴化[habituated]することで、互いにもう一方へと変化することがある。これはとくに、嗅覚と味覚の器官によって伝達される印象についてあてはまる。人類が普遍的にタバコやアルコールを使用しているとする文献は多いが、これらの使用が自然な享楽を生み出すとは言えない。というのも、多くの人にとってこれらの使用ははじめは愉快ではないものだからだ。だが、そのうちに許容可能なもの、そして愉快なものへと変化していき、最後にはそれらの欠乏が痛みを伴う枯渇に感じられ、通常の効果を得るためにより多くの刺激が必要になってくる。これらは全て「神経刺激物」の一種であり、常用することで神経系の栄養状態に変様をもたらし、刺激物が手に入らない場合には飢えや渇きに相当するような身体的欠乏感を生じさせるということは、ほぼ疑問の余地のないことだ。