えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

痛みは共通感覚ではない Titchener (1897) & (1899)

https://archive.org/details/anoutlinepsycho02titcgoog
https://archive.org/details/b21294562

  • Tichener, Eduard Brandford. (1897). An Outline of Psychology, 2nd ed.. New York, NY: Macmillan.
  • Tichener, Eduard Brandford. (1899). An Outline of Psychology, 3rd ed.. New York, NY: Macmillan.

 以下に訳出したのはE. B. ティチナーが1896年に書いた心理学の入門書の第2版(1897)と第3版(1899)から「痛み」の節です。初版からわずか一年でティチナーは、痛みはあらゆる感覚神経から生じうるという説を撤回しています。

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§21 痛み
 痛みは、圧力と同じく、個別(皮膚の)感覚の質でもあり臓器感覚の質でもあるようにおもわれ、上皮の損傷と筋肉の過剰な収縮の両者によって生じる。具体的な痛み(たとえば、強すぎる光を浴びたときや指を切ったときに生じる)には、3つの独立した要因が含まれる。まず、個別感官の感覚(光ないし皮膚の圧力)、痛みの感覚、そして深刻な不快である(§31)。深刻な痛みの場合、第2第3の要因が第1の要因を遥かに上回る。とはいえそうした場合ですら、私たちはつねに、切られたのは指であるとか、痛むのは歯であるとか、[お腹の痛みをもたらしているのは消化管だとか:3版で削除]いったことがわかる。この局在性にかんする知識をもたらしているのは、複合的な経験にふくまれる個別感官の感覚や個別の臓器感覚のもつ質なのであって、痛みそのものではない。
 

 筋肉の痛み(まばゆい光から生じる眼の筋肉の痛みや、つんざくような音から生じる耳の筋肉の痛みなど)のメカニズムは、未だ十分にわかっていない。上皮、つまり柔らかい真皮を覆っている硬い部分は、自由な神経末端を含んでいる。中程度の機械的刺激であれば、こうした神経には何の影響も無く、その影響はすぐに真皮に及ぶ。だが、上皮が切られたり撲たれたりする場合、神経が痛みというかたちで反応する。

 これまで共通感覚と呼ばれてきたものには、上で私が臓器感覚および共通感覚と呼んだ感覚ないし感覚複合の全てを含み、また個別感官の感覚のうちいくつかのもの(体温など)を含んでいる。これらの感覚は、どの感覚神経群の刺激によっても(あるいは少なくとも、一つ以上の感覚神経群の刺激によって)生じると考えられていた。つまりそうした感覚は、いくつかの異なった感覚部門に「共通」のものだとされていたのだ。

 つい最近まで、痛みは語の厳密な意味で共通感覚だと考えるのに十分な理由があった。つまり痛みは、いかなる感覚神経(視覚的、皮膚的など)の過剰な刺激によっても生み出されうるものだ、と。だが今日のところ、痛みは皮膚と[粘膜、:3版]横紋筋[、関節、そして(おそらく)骨組織:3版]からのみ生じるようである[3版: 生じるということが確かにわかっている]。従って、圧迫感も、痛みとほぼ同じくらい共通感覚だといえる。圧迫感もまた、皮膚、粘膜、横紋筋、間接における神経末端の刺激によって生じるからだ。圧迫感と痛みは有機体の最も原初的な感覚、精神の進化において真っ先に現れたものだと考えられるかもしれない。ーー本書で言及した以外にも、臓器感覚の複合体には様々な名前があてられている。だがそうしたものは、どれも個別の感覚の質に他ならない。疲れ、眠気、元気さ、不愉快などは(これらが感覚から構成されている限り(§32))、既に見たような諸要素に分解可能である。

 方法:痛みがあるというのは内観には極めて不都合なことであるため、個別の(皮膚的な)痛みと臓器的(筋肉の)痛みが質的に類似しているというのを自分自身で確信するのは難しい。だが、次のような方法なら上手くいくだろう。あまり尖っていない棒であなたの胸の部分を押していき、圧迫感が痛みに変わったならば、アシスタントに合図を送って、スライドホイッスルで耳が痛くなるほど高い音を出してもらう。これを何試行かすると、2つの痛みが同じ質を持つことを確信するのに十分な内観ができるようになるだろう。