えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

古典期の「非理性」 フーコー 1972[1975]

狂気の歴史―古典主義時代における

狂気の歴史―古典主義時代における

  • フーコー, M. (1972)[1975]. 『狂気の歴史:古典主義時代における』, 新潮社

【要約】
 古典期に監禁された人々は、今日から見ると極めて雑多な集団に見える。だが監禁は、当時の人々のもっていた独特な感受性を反映していた。それは、「かつて持っていた宗教的意味を失ったが、病理だとはされておらず、道徳的に非難される」領域としての「非理性」に対する感受性である。ルネサンス期には理性と近しい関係にあった非理性は、古典期には監禁の対象として道徳的評価を伴いつつ対象化された。このことが、狂気の科学的な対象化を準備するものであった。

  • 監禁施設の中には様々な人がいた。このことを次のように分析できるかもしれない。「監禁は「非社会的な」人間を排除するものだった。狂気も非社会的なものとして判然としないままに把握されていたが、徐々にこのような把握が組織化され、科学的認識へと向かっていった」。ここでは、狂気が時代を通じて同じ姿で存在し続けていると想定されている
  • だが、18世紀に監禁された人々が今日の眼から「非社会的」に見えるのは、結果論にすぎない(今日にいう非社会的人物はまさにこの隔離によって生まれたのだから)。当時の人々は「非社会的」という理由で追放されたのではなかった。追放の動向の歴史を再現しなければならない。
*監禁された人々の画一性
  • 監禁施設には、今日から見ると全く異なる人々が画一的に収容されている。この画一性は、古典主義時代の人々が現代の人ならば分かる区別に無知だったからではない。そうではなくこの画一性は、古典期に独特なひとつの経験の現れである。この経験には、次の三つのものが関連しており、これらは狂気と共に「非理性」とされていた。
*1−1 性病
  • 元来、性病者は飢餓や黒死病等の災害の犠牲者と同じような扱いを受けていた。こうした災害は人間一般に対する神の罰であった。だがルネサンスの終わり頃、性病は個々人の不道徳と結びつけられるようになった。性病者は病院を追放され一般施療院に入れられる。入所の前には鞭打ちを受け、入所後は瀉血をはじめとする伝統的治療と懺悔が行われる。ここには、医学と道徳の共謀がある。人間を罪に結びつけている肉体を罰することが、患者の身体を治療でもあった。
  • 性病者が狂人と同じ空間にいたことにより、狂気は罪と関連づけられるようになる。

*1−2 同性愛と家族本意の道徳

  • かつてソドミーは異端などの宗教的不敬と同じ文脈におかれ、火あぶりが宣告されてきた。他方で同性愛は自由に表現されていた。だが古典期になると、同性愛は有罪とされるようになり、ソドミーは同性愛と同一視されるようになり、監禁が宣告されるようになった。
  • プラトンは愛を非理性と結びつけていたが、いまや愛は理性的なものと非理性的なものに分割され、同性愛は後者におかれることで、狂気と結びつくようになる。
  • また売春や放蕩も、家族の利益(財産)が侵害される場合に限って、監禁されている。かつてヨーロッパの恋愛は結婚の義務よりも恋愛の完全さを尊ぶ騎士道的で神聖なものであった。だが古典期には、家庭本意の道徳に外れる恋愛はすべて「非理性」として排除された。
*2 神の冒瀆
  • 17世紀後半から、法律が改訂されたわけでもないのに、冒瀆的言辞による有罪判決数が減ってくる。だが冒瀆的言辞が減ったわけではない。かつて冒瀆的言辞は宗教的禁忌であり危険なものであった。だがいまやこのような危険性が失われ、冒瀆的言辞は無秩序・気違い沙汰であるとされるようになった。そして冒瀆的言辞を吐く人間は監禁されるようになった。
  • ここにも性欲の場合と同じく、「神聖なものと病的なものの中間にあり道徳的に非難される領域」がある。これが古典期における「非理性」の領域である。
  • 同様に、これまで神の冒瀆とされ厳罰を課せられてきた自殺〔未遂〕者や妖術や魔術使いもまた、古典期には監禁されるようになった。
*3 リベルティナージュ(自由思想・無宗教)
  • かつてリベルティナージュは無信仰や異端につながる宗教的危険であり、火あぶりを宣告されたりしていた。しかし古典期には、リベルティナージュは生活上の身勝手さという道徳的危険となり、監禁されるようになった。このため監禁は、道徳的矯正によって収容者を真実に至らせるという機能をもつようになった。
  • 17世紀初頭のリベルティナージュは、理性と非理性の区別がつかないという懐疑主義であった。だが17世紀を通じて、理性と非理性には区別が作り上げられ、リベルティナージュは非理性の方に位置付けられるようになった。このときリベルティナージュとは、理性が欲望の奴隷となっている状態だとされる。この状態こそ、サドがリベルティナージュを体系化しようとするときにまさに称揚したものであった。
  • こうして「非理性」の領域に、理性が欲望に従属して身勝手な行為をおこなうことが入ってくることになった。
*「非理性」の領域
  • 以上のような雑多な人々が、17世紀後半に一挙にして監禁された。
  • ルネサンス期には、非理性は身近な存在であったために理性がそれを知覚(対象化)することが出来なかった。だが古典期は監禁によって非理性を理性から隔てた。これにより非理性は知覚(対象化)可能なものとなった。ただし、その対象の領域には、追放という否定的な価値があらかじめ付与されているのであった。
  • 理性との古い親近関係から自由になった非理性は、しかし今度は別のものに従属することになる。それが、監禁された様々な人々のあいだにむすばれたネットワークである。これにより、色情、冒瀆、魔術といった具体的内容が、非理性に対して与えられる。理性と非理性の分割は、道徳的な善と悪の分割と重なるようになった。
  • かくして、非理性というひとまとまりの経験の領域が現れることになった。この道徳中心の領域が、精神病についての今日の「科学的」認識の基盤となっていく。
  • またこの新たな領域は、「非理性的な実存」と「矯正される実存」というイメージをもたらした。「矯正される実存」とは、実際に監禁されるに先立って人がもっており、最終的には監禁を必然のものとするような、そういう実存のスタイルである。
  • ピネルらによる「解放」までの約150年間、この非理性という一般的な経験を背景にして、狂気は取り扱われることになった。「解放」の時期になると、ヨーロッパ人は非理性をこのような姿で感じたり理解したりできなくなっていた。このことを象徴するように、19世紀冒頭、精神錯乱者のためにシャラントン収容施設を病院に作り替えようとしたロワイエ=コラールは、収容されていたサドを追い出して牢獄に入れようとしたのだった。