えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

唯物論論争の重要著作:ロッツェの『ミクロコスモス』・ビューヒナーの『物質と力』 Beiser (2014)

After Hegel: German Philosophy, 1840-1900

After Hegel: German Philosophy, 1840-1900

  • Beiser, F. (2014). After Hegel: German Philosophy, 1840–1900. Princeton, NJ: Princeton University Press. 

・第二章 唯物論論争(1−2/3−4←いまここ/5−6/7

 唯物論に対抗するものとして、ヴァーグナーの講演はある若き哲学者を引用した。ゲッティンゲンのヘルマン・ロッツェである。これによりロッツェはヴァーグナーの犬と見なされるようになった。だがロッツェ自身は、ヴァーグナーのようなキリスト教原理主義にも、生気の存在にも肩入れしていなかったため、誤解を取り除くべく唯物論論争への参戦を余儀なくされた。ロッツェは科学と信仰は両立可能だと考えており、その見解は『ミクロコスモス』 Mikrokosmus (1856−64) に結実することになる。

 科学と信仰の衝突を回避するためには、科学の力と限界を見極めることが重要だ。科学の機械論的な方法は、生命非生命を問わず自然界の全てを説明することができる。この点で生命を特別視する生気論は誤っている。しかし機械論では、事物の意味と目的を説明できない。こうした事柄は価値の領域に属しているのだ。とはいえ二つの領域は完全に独立なものではない。万物は自然法則に従って生起するが、しかし自然法則は善と美という目的を実現するための手段なのである。

 宇宙を有機的な全体と見るロッツェの形而上学は、ロマン主義的・観念論的伝統を自覚的に受け継いでいる、だがそうした先駆者とは異なり、ロッツェは機械論的説明が自然界の全てに適用できることを認めている。しかしこのことは彼を唯物論者にはしない。なぜならロッツェにとって、機械論とはあくまで説明の仕方にかかわるもので、説明されるものの本性とは無関係だからだ。唯物論への反論としてロッツェは、物体の実在性は派生的なものに過ぎないと主張していく。物体は空間的延長と非空間的な力の2側面をもっているが、空間は関係的なものであり、力が相互作用した結果生まれるにすぎないのだ。

 ロッツェはトレンデンブルクやハルトマンと同じく、科学的探究が有機体的世界観をむしろ確証すると考えている。こうしたやり方は、ダーウィニズムによって大きな打撃を受けるはずなのだが、ロッツェ自身はその脅威を理解しそこねたようだ。ロッツェの形而上学は今日では時代を遅れの物と見なされているが、しかし彼が提起した二つの領域の区別、別の言い方では「存在するもの」と「妥当なもの」の区別は、今日でも残り続けている。


 『ミクロコスモス』を観念論サイドの代表著作とするならば、唯物論サイドのそれはビューヒナーの『力と質料』である。唯物論とは、この世界には運動する物体しか存在しないとする説だ。しかし物体とは何か。デカルト的伝統によれば、物体とは延長であり、慣性的で、他の物体によって動かされなければ動かない。だがこのように理解するとき、生命はなにか物体とは根本的に異なるものように思えてしまう。この伝統に対しビューヒナーは、力と運動こそ物体の本性だという生気論的唯物論(Vital materialism)の伝統に味方する。彼によれば物体は「質料」(Stoff)と「力」(Kraft)という相互依存的な概念から理解されるべきである。物体は自己組織的で、要素から全体を形成する力を持つ。このように考えれば、生命を化学的、物理的力の組み合わせの帰結と見ることが可能になる。有機体と非有機体の間にあるのは複雑さの違いにすぎない。このことは、炭素と水素から炭化水素という生命の基本要素を作り上げた、フランスの化学者マルセラン・ベルテロ*1の仕事の帰結である。

 『力と質料』は、キリスト教的な世界観を埋葬することを主目的としている。「無からの創造」は物体から独立な超自然的な力を前提としているが、力は質料と相互依存的なのでこの前提はおかしい。また、魂は物体の特定の組織体にすぎないので、不死では全くなく、組織が崩壊すればなくなる。万物は物体の法則にしたがって必然的に生起するので、自由意志も奇跡もない。人類学的な証拠から、神の観念が生得的でないのは明らかだし、そういう観念を持たない人でも道徳的に生きているのである。

 以上のような宗教批判には早急で荒っぽいところもあった。また『力と質料』は単純平易な記述を特徴としており、このために彼は低級な哲学者だと見なされた。しかしながらビューヒナーの想定読者は一般大衆であり、生き生きと一貫した形で唯物論的世界観を伝えることに成功したのだった。

*1:"French chemist Pierre Bertholet (1827−1907)" なのだけれど、これは生没年から考えてもMarcellin Pierre Eugene Berthelotのまちがいだと思う