えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

毎週火曜はクマをいじめよう! ロンドン、ホープ座の熊いじめ Hotson (1928)

https://archive.org/details/commonwealthrest00hots

  • Hotson, L. (1928) The Commonwealth and Restoration Stage. Harvard University Press.

Bear Gardens and Bear-Baiting (pp. 59-70)

  17世紀ロンドンで貴族と大衆に大受けした娯楽に、「熊いじめ」[bear-baiting] があります。これはクマに犬をけしかけるという「高貴なスポーツ」です。そんな「熊いじめ」と、もう一つの娯楽である演劇の両方ができる場所として1613年にバンクサイドに建てられたのが、「ホープ座」(The Hope Theatre)でした。ですが役者にはクマが臭いし、熊いじめ大好き人間たちには役者が邪魔、と二つの娯楽の相性は悪く、数年後にはもっぱら熊いじめや牛いじめに特化するようになります。

  しかし熊いじめの残酷さ、野蛮さには非難の声もあり、人が集まって騒動をおこすことも問題視されました。そしてイングランド内戦期に入ると、議会は熊いじめを禁じます。クマの所有者であったTom Godfreyも42年には投獄されました。ところが様々な記録から、熊いじめはずっと続いていたことがわかります。例えば、議会からの2度目の禁令にもかかわらず「とりあえず毎週火曜は熊いじめの日であってほしいところである」などと雑誌は伝えます。そして実際毎週火曜の熊いじめは続くのですが、とはいえ以前ほどの賑やかさはなくなり、20頭以上いたクマの数も減っていきました。そして1655年9月、子供が熊に殺されるといういたましい事故が起き、このため56年2月には残っていた7頭のクマとその他の動物が射殺、ホープ座の熊いじめは一時終了を余儀なくされました。

  ですがホープ座の他に、より私的な熊いじめ場がありました。イングランドにセダンチェアを普及させたSir Sanders Duncombeが、テムズを挟んで向こう側のクラーケンウェルにクマ園を設立していたのです。ホープ座が使えない間、ここがクマいじめの拠点となりました。そして王政復古に伴い、熊いじめは高貴なスポーツとしての地位を再び獲得、ホープ座もチャールズ二世により再開されることとなったのでした。