えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

「先延ばしと情動」 信原 (2014)

シリーズ 新・心の哲学III 情動篇

シリーズ 新・心の哲学III 情動篇

III 情動篇

  本シリーズの編者の一人、信原幸弘氏による「先延ばし」(Procrastination)にかんする論文を紹介します。これまで心の哲学者のあつかう不合理性といえば「意志の弱さ」や「自己欺瞞」が代表的なものでしたが、近年つとに注目を集めているのがこの「先延ばし」だと言えます。「新」と銘打つシリーズにふさわしいトピックだと言えるでしょう。この論文は、Journal of Social Behavior and Personality の先延ばし特集号(2000.15(5))や、Chrisoula and White (2010) The Thief of Time※この本は本ブログでも何回か取り上げています)に収録された諸論文をおもな参照点にしつつ、先延ばしにまつわる多様な論点を網羅的に紹介しています。本論文を足場として、今後本邦でも先延ばしにかんする議論がにぎやかになることでしょう。

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  私たちはつい先延ばします。ですが一口に「先延ばし」といっても色々あります。そもそも、「何を」時間的に先送りすると不合理な「先延ばし」になるのでしょうか。本人がすべきだと思ったことなのか(主観説)、それとも客観的にすべきであることなのか。また、先延ばしされるのは「行為」とは限りません。何かをすべきという「判断」を優柔不断のまま先延ばすこと、判断はしたがそれを行う意図(計画)の形成を先延ばすこと、あるいは曖昧な計画しか立てないために先延ばしが起こることもあります(Stroud 2010)。また、賭けを「やめる」ことを先延ばして大損することもあります(Wieber & Gollwitzwe 2010)。更に、目先の小さな報酬で満足して後の大きな報酬を十分味わえないことがありますが、これは欲求の回復を先延ばしてしまっていると言えます(Ainslie 2010)。

  先延ばしの原因もまた多様です。人は目下にあるわずかな苦痛よりも未来の大きな苦痛を小さく見積もりがちなので、苦痛が小さいうちに手を打つことが困難です(Elster 2010)。また完璧主義者は恥をかくのを避けるために仕事への着手を延ばしがちです(Fee and Tangney 2000)。また情動に関連する脳部位VMPFCを損傷した患者は些事に拘って物事を決定出来ないことが知られており(Damasio 1994)、情動の不足も先延ばしの原因だと言えます。さらに、将来の自分への配慮、とくに将来の自分への感情的・想像的な同一化がなければ先延ばしは起こりやすくなるでしょう(Tappolet 2010)。こうした心理的要因だけでなく、行う事柄自体も重要です。いつ作業してもよい自由度の高い仕事は、どの時点でも他の事柄への欲求に負けやすく、先延ばしが起こりやすくなります(Tanenbaum 2010)。また人生には、後から振り返ったり未来に思い描くと価値があると思えるのだが、実際やっている最中は苦痛でしかないような事柄があります(勉学や子育てなど)。全体の価値が各時点での価値を大きく上回るこのような価値のあり方を、ミルグラムは『鏡の国のアリス』からとって「ジャムは昨日と明日」と名付けました(Millgram 2010)。この種の価値の追求は、何せ今日行うべきことはジャムではないのですから、先延ばしやすくなります。

  ところで、先延ばしは不合理なものだと思われますが、これを認めるためには欲求に還元されない「意志」を認める必要があります。というのも、もし物事の価値がそこに向けられた欲求の強さによって決まるのなら(価値の主観主義)、合理的な行為とは欲求の充足を最大化させる行為だということになります。そして先延ばしであってもその時点では欲求の最大化を達成するので、先延ばしは不合理ではないことになります。ですが物事の価値は知的に評価することも出来ます。このことは、欲求とは独立に物事自体に価値があると考える一応の根拠になります(価値の客観主義)。この時、知的に評価された価値を最大限に実現する行為こそが合理的であり、その行為を選択・実行する能力こそが「意志」です。すると先延ばしは、知的な価値に従わない点で不合理なのだと言えます。
 
  さて、厄介な先延ばしにはどう対処すればいいでしょうか。いつどこでどんな風に何をするかを具体的に定めた意図、「実行意図」の形成が先延ばしを減らすことが知られています(Wieber and Gollwitzer 2010)。実行意図は、行為すべき時や場所をまたいちいち考えて実行し意志力を消費することを避け、行動の開始を自動化してくれるのです。また、自己制御の習慣が身に付いている領域を利用して、自己制御の習慣が身に付いていない領域にてこ入れすることができます(Andreou 2010)。例えば、食事の制御ができるなら、「運動をしなければ週末の贅沢はなしにする」と計画を立てることにより、運動の先延ばしを防ぐことができます。さらに、大学一二年生は学業を先延ばししやすいのですが、これは親の監視を失ったためだと考えられています(Heath and Anderson 2010)。こうした「外的な足場」も、先延ばし防止に効果的です。ですがいくら先延ばしを防止するとはいえ、他人からの制約を利用するのは個人の自由を奪うことになるのではないでしょうか。しかしここで著者は「拡張された心」の観点から「外的な足場」も心の一部だと考え、性格のような行為への内的制約によって不自由が増すとは考えられないように、外的制約もまた自由を減らすものではなく、むしろ放埒におちいることなく自由を実現するために必要不可欠なものなのだと論じています。

  物事を知的に評価すると同時に情動的にも評価する、そのような本性を持った人間にとって、先延ばしは不可避のものです。しかしそれを一定程度に押さえることを可能にしているのもまた、人間本性なのです。