http://mitizane.ll.chiba-u.jp/meta-bin/mt-pdetail.cgi?cd=00118003
- 王慈敏 (2014). 「「なければならない」に関する一考察:「ざるを得ない」との比較から」. 『千葉大学人文社会科学研究』, 29:153-166.
昨日のウィリアムズに続いて日本語の「なければならない」にかんする論文をよみました。
「なければならない」と「ざるを得ない」の違いとして、森山 (1997) は前者を「絶対的価値付与型」、後者を「選択無余地型」と説明しています。その論拠となる観察は、「ざるを得ない」には反対文脈を接続できないというものです。
- (1) *出頭に応じない以上、彼は逃げるつもりだと判断せざるを得なかった。が、あえて私はそうは判断しなかった。
- (2) 出頭に応じない以上、彼は逃げるつもりだと判断しなければならなかった。が、あえて私はそうは判断はしなかった。
しかし、この説だと以下の文が説明できません。
- (3) マイホームは手にしたものの、長いローンが残っている。どうしても、奥さんも働かなければならない。でも、その奥さんはあえて働かないことにした。
- (4) マイホームは手にしたものの、長いローンが残っている。どうしても、奥さんも働かざるを得ない。でも、その奥さんはあえて働かないことにした。
そこでこの論文では、「なければならない」と「ざるを得ない」を分けるのは「意図性」だと指摘します。例えば、「なければならない」は意図性を表す使役形や副詞と共起します。
- (5) この両法案を今国会で成立させなければならない。
- (6) なんとしても、そのソコナシとかいうカエルに会わなければならない。
しかし、「ざるを得ない」ではできません。
- (7) *この両法案を今国会で成立させざるを得ない。
- (8) *なんとしても、そのソコナシとかいうカエルに会わざるを得ない。
〔※ただ私自身は(7)も(8)完全に容認可能な気がします〕
ただし使役についても、受け身なら意図性が無くなるので「ざるを得ない」と共起可能になります
(9) 都市はしたがって上へ上へと、立体的、人工的に伸び、高層化されざるをえないことになる。
また「どうしても」は意図性が薄いので、これは「なければならない」、「ざるを得ない」両方と共起します。
(10) 汽車がない、バスしかないという状況でどうしてもバスに頼らなければならない。
(11) 私たちは、こんなことやってはいけないんだと思いながらも、どうしてもやらざるをえない。
また感情や心理状態は意図性がないので「ざるを得ない」とも共起します。
(12) 「気安ういわんといてんか」と気色ばま>ざるをえない。
(13) 私は懐疑的にならざるをえない。
ただ、この場合「ねばならない」だと容認度が下がるため、「ねばならない」が完全に意図中立的だとは言い難い面もあります。
(14) ??「気安ういわんといてんか」と気色ばまなければならない。
(15) ??「私は懐疑的にならなければならない」
まとめ
「ねばならない」は基本的には意図中立的だが、「ざるを得ない」は意図性がない場合にしか使えない。