- 作者: 信原幸弘,太田紘史
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2014/05/14
- メディア: 単行本
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III 情動篇
- 第2章 西堤優「自己制御と誘惑」←いまここ
- 第3章 信原幸弘「先延ばしと情動」
『シリーズ 新・心の哲学』から、「自己制御」にかんする論文を紹介します。著者には以前にも自己制御にかんする論文がありますが、本章はさらに充実した一本となっていると思います。とくに、最後に取り上げられている「リソースモデル vs プロセスモデル」の論争は本邦ではまだあまり紹介されておらず、勉強になりました。
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60-70年代の心理学は、学習、記憶、演繹的推論、社会的認知、意思決定など様々な心的活動が、二種類のシステムにより支えられていることを明らかにしました(Evans & Frankish 2009, 10-15)。この「二重システム」理論によれば、人間の心には進化的に古く無意識的、自動的で素早く直観的な「システム1」と、進化的に新しく意識的で制御され遅く、熟慮的な「システム2」が存在しています。システム1は扁桃腺体を中心とした神経システムに、システム2は前頭前野を中心とした神経システムに、それぞれ対応します。システム1が物事の価値を欲求や情動に基づいて評価するのに対し、システム2はより知的に評価し、二つのシステムの相互作用によって最終的な行動が決定します。「自己制御」とは、システム2がシステム1を制御することで、システム2が決定した行為が実現されることだと言えます。
自己制御が必要となる場面は、システム1とシステム2の決定が食い違う場合です。この食い違いが起こる大きな要因として、価値の時間割引があげられます(Ainslie 2001)。システム1は未来の報酬の価値を双曲線に従って割り引いて評価する傾向があるため、報酬が間近になってくると急激にその価値が上がり、事物の価値を客観的、あるいはせいぜい指数曲線的な時間割引率で評価するシステム1との食い違いが起きやすくなるのです。
ところで、自己制御は情動によって妨げられるとしばしば言われてきました。しかしダマシオらの研究により、情動に関連する脳部位VMPFCを損傷した人は、最善の選択を理解しているのにもかかわらず自己制御を欠いており、判断に従った行動が出来ないことがわかっています(Damasio 1994, Ch, 3)。ダマシオは、情動的な身体状態は事物の価値を反映しており(ソマティック・マーカー)、VMPFCの損傷により一定の情動的状態が形成できなくなると、有利な意思決定を行うことが出来なくなるのだと考えました。このことを二重システムの観点からとらえると、VMPFC損傷者には不利な選択のスリル感は残っている一方で、本来はそれを相殺するはずの不利な選択に対する否定的情動(システム2の知的評価に対応)が形成できないため、システム1では相対的に不利な選択への動機づけが強く、システム2による制御が難しくなっていると考えられます。またおなじことは、扁桃体が過活動することで不利な選択への評価が相対的に高くなったときにもおこります(薬物依存者の場合)(Bechara 2002, 2003)。
ではより具体的に言うと、自己制御の喪失はどのように起こるのでしょうか。バウマイスターらの「リソースモデル」によれば、人間には「意志力」(will-power)という自己制御のための資源があるとされます(Baumeister et al. 1998)。このエネルギーの物質的基盤としてはグルコースが提案されています。そして、資源は使うとなくなるので(自我消耗 [ego-depletion])、その分自己制御が喪失しやすくなります。二重システム的に言えば、意志力はシステム2の資源であると考えられます。ここで重要なのは、この自己制御に用いる「意志力」は、情動や欲求に還元されない独自の力だという点です。これに対してインズリヒトらは、「意志力」という本性がよくわからない実体をおくことを避け、自己制御の喪失は自己制御への動機が減ったり、報酬への注意が増すことで生じるという「プロセスモデル」を提示しました(Inzlicht et al. 2012)。この場合、結局自己制御は欲求のありかた依存していることになります。
著者は「プロセスモデル」が「意志力」を退けることを評価しつつも、我々の行為が常に欲求によって導かれているとは思えない点や、プロセスモデルではどのようなばあいに動機の変化が起こるのかが不明である点をあげ、「リソースモデル」にもまだポイントはあると論じています。