- 作者: 渡辺正雄
- 出版社/メーカー: 共立出版
- 発売日: 1991/11
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (1件) を見る
- 渡辺正雄編 (1991)『ケプラーと世界の調和』 (共立出版)
- エイトン・E 「異端か正統か:ケプラーと神学」(原純夫訳)
生き延びるためにケプラーについて学ぶの巻 2
◇ ◇ ◇
ケプラーは若い頃からルター派の聖餐理解(共在説:キリストの体は遍在しているので、つねにパンやぶどう酒のなかにある)と非キリスト教徒救われない問題に疑念をおぼえていました。とくに前者に関して、後にはキリストにおける神性と人性の特殊な統一性を説くルター派の位格論を退け、人性を保持したキリストの体は遍在しえないというカルヴァン派やイエズス会的見解を採用し(ここで古代の教父やスコラの注解者への訴えがあります)、聖餐のパンは不可視の霊的なものの徴であるというカルヴァン派に近い考えをとりました。このためにルター派からはカルヴァン派と疑われ、テュービンゲンでのポストはもらえないわリンツでは聖餐を拒否されるわでしたが、日曜と祝日には家族たちのために祈祷会を行い、カルヴァン派の予定説を論難する大著を準備してたというケプラーは紛れもなくルター派でありました。
また数学的仮説として受け止められていたコペルニクス説を実在に関する説だと主張したいケプラーには、聖書との整合性を示すしか道がありません。しかし素人に聖書解釈の権限はないと神学者は主張するので、結局敵対は避けられませんでした。これをみこした神学の先生の助言もあり、大学の推薦が必要だった『宇宙誌の神秘』からは聖書関係の記述が削除されましたが、『新天文学』は「聖書は万人向けに書かれているので字義通り解釈すべきではない」という見解を押し出しています(例えばヨシュ10:12ー3)。聖書の誤った解釈で自然における神の御業を否定してはならないーー聖書と(幾何学で書かれた)「自然という書物」の研究は並行的に行われるべきだというのは正多面体仮説以来ケプラーが強く自覚していた見解です。そして彼の調和に満ちた宇宙は、太陽中心とはいえある意味では地球の特権性も保持しており(惑星の配列の真ん中、第一種立体と第二種立体の境界に位置)、やはりキリスト教の神の視覚的な表現でした。