えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

ケプラーの信仰 エイトン (1991)

  • 渡辺正雄編 (1991)『ケプラーと世界の調和』 (共立出版)
    • エイトン・E 「異端か正統か:ケプラーと神学」(原純夫訳)

 ケプラーは若い頃からルター派の聖餐理解や非キリスト教徒が救われないという問題に疑念をおぼえていた。とくに聖餐理解に関して、後にはキリストにおける神性と人性の特殊な統一を説くルター派の考えを退け、人性を保持したキリストの体は遍在しえないというカルヴァン派やイエズス会的見解を採用し(ここでは教父やスコラの注解者にも依拠した)、聖餐のパンは不可視の霊的なものの徴であるというカルヴァン派に近い考えをとりました。このためにケプラーは、ルター派からはカルヴァン派だと疑われ、テュービンゲンでポストを得られなくなり、リンツでは拝餐を拒否されるなどの憂き目にあった。しかし、日曜と祝日には家族たちのために祈祷会を行い、カルヴァン派の予定説を論難する大著を準備してたというケプラーは、やはり紛れもなくルター派だった。

 またケプラーは、数学的仮説として受け止められていたコペルニクス説を実在に関する説だと主張したかったため、聖書との整合性を示す必要に迫られた。だが、神学者は素人に聖書解釈の権限はないとしていたため、いずれにせよ衝突が避けられない状態にあった。ケプラーの神学の先生はこうした点を見越しており、その助言をうけて、大学の推薦が必要だった『宇宙誌の神秘』からは聖書関係の記述が削除された。しかし、『新天文学』では、「聖書は万人向けに書かれているので字義通り解釈すべきではない」という見解を押し出している(例えばヨシュ10:12ー3など)。聖書の誤った解釈で自然における神の御業を否定してはならない、聖書と「自然という書物」の研究は並行的に行われるべきだ、というのが、正多面体仮説以来ケプラーが強く自覚していた見解だった。実際、ケプラーの描く調和に満ちた宇宙は、太陽中心とはいえある意味では地球の特権性も保持しており(惑星の配列の真ん中、第一種立体と第二種立体の境界に位置)、やはりキリスト教の神を視覚的に表現するものだった。