- 作者: イアン・ハッキング,出口康夫,大西琢朗,渡辺一弘
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2012/12/27
- メディア: 単行本
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- ハッキング, I. (2002=2012) 『知の歴史学』 (出口他訳 岩波書店)
第2章 五つの寓話 ←いまここ
第3章 哲学者のための二種類の「新しい歴史主義」
第12章 歴史家にとっての「スタイル」、哲学者にとっての「スタイル」
- 以下の5つの話から、哲学と歴史の関係について異なった見解を読み取ることが出来る。
素三彩
- アウグスト一世が収集していた中国の磁器は、その後一世紀ほどホコリを被ったままだった。しかし戦後になって再び日の目を見ることになった。
- × これらの陶器には固有の価値は無い (相対主義)
- ○ 何度忘れ去られても、必ず再発見され真価を発揮する時が来る。
- 過去の哲学者も、それが真価を発揮できる環境が整えられれば、現代の読者の心に「直接に語りかけてくる」。ハッキング自身のデカルト講義によって、『省察』はその真価を学生に示した。
ブレヒトのパラドクス
- ブレヒト「こいつ〔デカルト〕は、俺とは全く異なった時間軸、まったく異なった世界に住んでいるに違いない!」
- このご時世に、「我思フ故ニ我アリ」をマジで受け取ることが出来る人などいない。
- 一方で学生達の「デカルトわかる感」、他方でブレヒトの「デカルトわからない感」、は、哲学と歴史に関わる解消できないパラドクスを構成している。
過剰な言葉
- ハッキング自身がかつて提起した哲学の「ひとつのやり方」を紹介。
- 哲学は問題解決の営みだが、問題とは概念的混乱から発する。この混乱の原因はその概念を可能にしたもの自体にあり、概念の歴史をたどり直すことによって、哲学的問題を「説明」することができる(解決/解消は必ずしも望めないかもしれない)
- しかしハッキングは今では、哲学を問題解決の営みとする大前提に疑問をもち、自分が実際やってきたことも問題解決では無かったと思うに至っている。→ 「歴史的メタ認識論」〔(認識論に関連する諸概念を、歴史の中で展開・変容してきたものとして研究する)〕や「推論のスタイル」の研究
世界を作り直す
- 「唯名論」(カテゴリーなどの普遍者は人間が生み出した)の観点から再構成したクーン。科学革命を通して今日のカテゴリーが存在するようになった様が、特定の関心(アノマリ何とかしたい)との関係で鮮やかに描かれ、唯名論は明確なものとなった(「革命的唯名論」という歴史化された唯名論)。しかし新しいカテゴリーはアノマリをそれなりに「リアルに」解決する必要があるから、ここには世界の側の実在性もある程度関わるので、厳密なスコラの唯名論ではない。
- 自然科学では、どうカテゴリーを作ろうが世界に変化は起こらない。一方社会科学においては、新しいカテゴリーの考案により人々や行動の新しいタイプを生み出すことが出来る(=「人々を作り上げる」)。
- もちろん現代の科学者達は、それまで自然界に存在しなかった新しい現象を創造する。とはいえ、例えば光電効果は自動ドアに応用されているが、光子理論が大幅に見直されたとしても、光電効果がなくなり自動ドアが開かなくなったりはしない(「実験的実在論」)。
- 理論は蓄積されないが、現象と推論のスタイルは蓄積される。
人々を作り上げる
- フーコーは、実践が語りに、語りが実践にどう影響するかを問うた。ここには、クーンは物理学、フーコーは人間に関する事柄、という役割分担を見て取ることが出来る。
- 自然の場合とは異なり、人々はどのカテゴリーを他人に/自分に適用するかによってその行動を変化させうる。というのは、どのようなボキャブラリーを持つかは、人々の行為の可能性を制約するからだ(行為は常に一定の記述のもとで行為なので)。
- フーコーの仕事は、ある種の記述の出現/消滅と、人々の種類の出現/消滅の間の結びつきに関する物語として読み直すことが出来る。フーコーの「知の考古学」は、我々を人間へとまさに「組み立て」る力と知の相互関係を把握することを可能にする。これが哲学に対する歴史の最大のインパクトである