えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

進化論がもたらす認識にかんする懐疑論 Littmann (2011)

http://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/05568641.2011.560028#.U6Kqu41_t8Q

  • Littmann, G. (2011) Darwin's Doubt Defended: Why Evolution Supports Skepticism, Philosophical Papers, 40:81-103

自然淘汰によって作られた認識能力によってわれわれが認識している世界(現象界)は、世界そのままの姿を捉えていないという話。ポイントは以下

  • (1)動物が世界をありのまま認識してないなら人間もそうやろ
  • (2)宇宙の根本本性を理解することが生存・繁殖上有利であるなら、人間はそれを探求しようとする自然な興味を持つことが期待されるが、そんなことはない。〔(この発想はなかった)〕
  • (3)適切な反応を喚起するために表象を提供するシステムは、その表象の原因となるものの精確なモデルを提供する必要はない(そのばあい、認識論的構造実在論(科学理論が観察不可能な存在者の間に関係について教えてくれることは信じるべきだが、そうした存在者自体の特徴に関しては判断すべきではない:Ladyman, 1998)をとるべき。)
    • (3-1)それどころか、純粋に相関的な現象界をうみだす認知能力はありのままの現象界を生み出す認知能力より単純なので、こちらが選択されたと考える理由がある。
    • (3-2)さらに、宇宙を正しく表象するモデルはひとつ(or 少ない)のに対し、純粋に相関的なモデルは無数にある。後者が選ばれる確率の方が高い。
  • (※)なお新しい状況に適応するためには精確な表象が必要だという論点があるが、人間の祖先が(出始めの頃を除けば)そんなに多くの重要な新しい状況に直面したとは思えない。