えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

人間が自然界で一番偉いという風潮(イギリス編) トマス (1983) [1989]

人間と自然界―近代イギリスにおける自然観の変遷 (叢書・ウニベルシタス)

人間と自然界―近代イギリスにおける自然観の変遷 (叢書・ウニベルシタス)

  • トマス, K. (1983) [1989] 『人間と自然界―近代イギリスにおける自然観の変遷』(法政大学出版局)

一章 人間の優越性

  今日のイギリスには、階級の高低を問わず深い田園愛がみられるようです。ところが自然に対するこうした態度は、かつては全く考えられないものでした。この著作は16世紀から18世紀後半にかけてイギリスで起こった自然に対する人々の感性の変化を、本文450pに対して100pもある豊富な文献によって描き出そうとする著作です。個々の事例が面白いタイプの本ですが、大づかみにまとめます。まず一章は、人間の優越性の思想全盛期が描かれます。

  テューダー朝・ステュアート朝時代には、「人間の優越性」の思想が神学的根拠をもって浸透しました。17世紀中葉以降の聖書解釈は、動物や植物、鉱物は人間のために創造されたという点を強調する人間中心的なもので、被造物の有用性に関するおもしろ議論が頂点を極めます。雑草は「引き抜くことで人間の勤勉さが発揮される」(p. 18)(1節)。

  一方近代初頭の科学者も、自然の征服という理念を掲げていました。「征服」の専制的イメージはキリスト教の教えによって軽減されました。動物を殺したからと言って「誰を傷つけるわけでも、後悔の念で良心の呵責を覚えるわけでもない」(ベーコン)。家畜化は自然に対する人間の勝利であり、たとえばイギリスで極めて大衆化した乗馬には、こうした象徴的意味もあったようです(2節)。

  人間と動物の異質性を強調するのはある意味では西洋哲学の伝統であり、当時もデカルト主義がこれに一役買っていました。ただしイギリスではデカルト主義はあまり力を持たず、人間の無比性を唱えたのは聖職者が中心であったようです(3節)。

  学術的議論の外にいる人々にも、動物と人間の区別の思想は行きわたっていました。エラスムスのマナー集によれば、マナーとは何より人間と動物を区別するものです。近代初頭のイギリスには、人間と動物の境界を侵犯しかねない行動に対する強い不安が読み取れます。曰く、「自分を動物と区別してくれる敬虔な思い(用を足している間はほとんど動物と違わないのだから)」、不潔は「人間を獣じみたものにしてしまう」、夜盗の方が昼より罪が重いのは、夜は「人間が休息し、獣が獲物を求めて走り回る時」だから云々……。さらに、獣姦が死罪だったのは1534-1861年であり、動物の仮装さえ禁止されました。動物は公的に否定的概念と結び付けられ、かえってそれは人間のすぐれた特性の価値を支えるために不可欠となったのです(4節)。

  この動きと連動して、「劣った人間」たちを動物にたとえることも行われました。その対象は、未開人、アメリカ原住民、アイルランド人、子供、女性、貧民、狂人、乞食、浮浪者、奴隷、(論争相手)……などです。そして人間の優越性の観念は、動物のみならず、動物的だとされた人々に対する非道な扱いもまた正当化することになります。非行に対処する様々な技術は、動物の訓養法から転用されたものですし、若者のしつけも馬の調教になぞらえられました。「庶民」を扱うべき方法の記述はこうです——「まず馬勒をつけ、ずるがしこくつけあがって反抗したりすると、拍車の痛みを感じさせてやるがよい」。さらに、虐げられた人々に味方する抗議の声も、<人間を動物のようにあつかうべきではない>という形をとり、当の抑圧を正当化している思想である「動物なら虐げてよい」という観念からは全く抜け出せていませんでした(5節)。