えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

また! 道徳は生得的じゃない Nichols (2005)

The Innate Mind: Structure And Contents (EVOLUTION COGNITION SERIES EVC)

The Innate Mind: Structure And Contents (EVOLUTION COGNITION SERIES EVC)

  • Nichols , S (2005) "Innateness and Moral Psychology" in Carruthers, P. et al. eds *the Innate Mind* (Oxford University Press)

・刺激の貧困論証(POS)は、言語が経験的に学習できないというネガティヴな結論と、その学習のために領域特定的な生得メカニズムが必要と言うポジティヴな結論を持つ。
・道徳に関する生得説は次の三種類に分類される。

【規則生得説】非仮言的な規則を理解する能力が生得的だよ
【道徳原理生得説】特定の道徳原理が生得的だよ
【道徳判断生得説】慣習規則と道徳規則を分けて道徳判断する能力が生得的だよ

規則生得説

・仮言的な規則を経験的に学習するのは簡単。特定の規則に従うと自分の関心がよくかなう事が理解できればよい。一方で、自分の関心とは全く独立に適用される定言的な規則の学習に関しては、似たようなストーリーを描くことは難しい。
・親や教師による教示を考えると、一般的な推論能力によって非仮言的規則を学習する可能性があるものの、規則生得説には一定の尤もらしさがある。

道徳原理生得説

・人は教えられていないが巧妙な道徳規則を持っているように見える。ハーマンやミハイルは、(1)このことは普遍的な道徳文法の措定によって説明されると考えた。また、(2)こうした道徳原理の文化横断性も、普遍的道徳文法によって説明されると考えた。

  • (1)について

・教えられていないが巧妙な道徳の例としてよくあげられるのは二重結果原理。トロッコ問題に関する反応パターンはDDEに合致しており、またDDEはかなり洗練されているので明示的に教えられる人はいない。
・しかし、トロッコ問題に対する直観パターンが二重結果原理に従うことは、その原理が生得的な普遍文法の一部であることを帰結しない。なぜなら、直観パターンがどのような原理に合致するかと言う問題と(外的問題)、その直観パターン産出に人の内部で関与している規則が何であるかと言う問題は(内的問題)別物だからである。従って、二重結果原理が直観パターンの最善の説明になっているか否かはまだ吟味される必要がある。
・二重結果原理によれば、予見される悪い結果をもつ行為は、次の場合のみ許容される。

1:意図された行為は許容可能
2:予見される悪い結果は意図されていない
3:その悪い結果を引き起こすことなく、良い結果を達成する方法が無い
4:悪い結果が良い結果と釣り合わないわけではない。

 このパターンは、非仮言的な道徳規則(殺人の禁止)【義務論的システム】と、どうすれば悪い結果が最小になるかを推論する一般的な能力【功利主義的システム】という2つのシステムによっても説明できる。前者は1・2を満たしていない行為を、後者は3・4を満たしていない行為を許容しないだろうからである。

  • (2)について

・普遍的道徳文法の存在が、特定の道徳原理が普遍であることの最善の説明であるとは限らない。例えば危害の禁止の発生にはさまざまな文化的説明がありえる。そして一度この規範が生じたとすると、(i)その規則が情動的に嫌悪される行為を禁止していること、(我々は他者が苦しむのを嫌悪する傾向にある)、(ii)情動的に目立つ規範は他の規範よりも保存されやすい、ことを考えると、その広汎性は良く説明できる。

道徳判断生得説

・Dwyer (1999) は子供の慣習/道徳区別を取り上げ、この二種類の領域を学ぶには刺激が足りない事(消極的主張)、それを認識するよう子供に促す何らかの生得的知識がある筈だ(積極的主張)と主張した(POS)。しかし、この消極的主張に関しては認めるとしても、生得的な道徳知識以外によって区別を説明する選択肢がある。
・Blairの一連の研究によって、サイコパスには慣習/道徳区別課題に上手く答えられない事が知られている。ここから、道徳の障害は感情の障害に由来する事が示唆されている。
・そこで、「苦痛に基づく規範の違反を検出する能力」(これはおそらく、一般的な規則理解能力に基づく)に「苦痛に対する情動的反応」が加わって、苦痛にかかわる規範が顕著な、慣習的でない性格のものになっているのだと考えられる。
・つまり重要なのは生得的な知識ではなく、〔他者の苦痛を嫌悪する〕生得的な情動体系である。
・規則の理解と情動体系は生得的で、適応の産物であろうが、道徳判断それ自体は両者の副産物であって、それ自体は適応の産物ではない。