えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

感情移入美学における「感情移入」 石原 (1999)

http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/33745

  • 石原孝二 (1999). 「感情移入」と「自己移入」 : 現象学・解釈学における他者認識の理論 (1) 「感情移入」の概念史, 『北海道大學文學部紀要』, 48-1, pp. 1-19

  ドイツ「感情移入美学」の創始者である父フィッシャーはこう考えました。外的な現象が我々の神経組織に「変容」を生じさせ、それが「象徴的な模写」としての像を作りだす。この過程で、像には精神的「内容」が投入される。こうして、本来は生のない自然に人間が自らの生を「感じ入れる」(sich hineinfuelen)ことで、外的な自然現象の像はその形を通して精神的内容を私たちに告げる「象徴」となる、と。「感情移入」概念は、「sich hineinfuelen」という語を好んだドイツロマン主義の美学から「象徴」や「調和的共感」といったモチーフを受け継ぎつつ、当時勃興しつつあった実験心理学の成果で美的経験を説明しようとするところに成立したのです。
  フィッシャー親子の基本的着想を受け継ぎつつ、感情移入を他者の「表現運動」の認識にも適用したのがリップスでした。その際、私が観察できるのは他者の身体の「視覚的側面」であり「運動感覚的側面」ではないとし、感情移入の根拠を類推とするのは誤りだと(恐らくミル、エルトマン、ベッヒャーらを)論難します。そして、相手の表情・身振りを知覚した時、私の内部にそれを模倣しようという衝動が生じ、〔対応する〕私の過去の情動が「再生産」されるという、「模倣本能説」を展開しました。しかし類推説同様、直接与えられる「私」と間接的に与えられる「他者」という二元論を保持する模倣本能説は、〔他者理解にはそれに先立つ自己の経験が必要だとする点で〕類推説の枠内にあると言えます(上記の2側面を区別しつつ二元論的でない他者理解のモデルを示したのがメルロ=ポンティです)。