- 作者: 成田和信
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2004/05/01
- メディア: 単行本
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- 成田和信 (2004) 『責任と自由』 (勁草書房)
【目次】
I 責任
第一章 ストローソンの責任概念
第二章 責任とは何か
II 自由をめぐって
第三章 「別の行為も行うことができた」ということ
第四章 意志の実現 ←いまここ
第五章 「別の意図も持つことができた」ということ
第六章 本心の実現
第七章 通時的コントロール
III 合理的<実践>能力と自由
第八章 合理的<実践>能力
1 仮意志実現説
【「できた」の条件分析】
できた = 「SがAを行おうと仮に意志したとすれば、その意志は実現されていたであろう
条件分析を基に別<行為>可能性を解釈しなおすと、次のようになる(Moore, 1912; Chap. 6)。
- (AP1)行為者Sは、実際の行為Aとは別の行為Bを行うことができた ⇔ SがBを行おうと仮に意志したとすれば、その意志は実現されていたであろう。
このように解釈された別<行為>可能性は決定論と矛盾しない。これは、「行為者にとってBが実際に選択可能であった」ことは含意しないからである。
(AP1)に基づけば、次のような「コントロール」概念が得られる
- (C2)行為者Sは、実際の行為Aを(責任に必要な意味で)コントロールしている ⇔ SがAとは別の行為Bを行おうと仮に意志したとすれば、その意志は実現されていたであろう。
2 再び、重複決定
しかしこの節も多重決定でつまずく。
【例】Sは自動車を運転しており、右に曲がろうと思って右に曲がった。ところが実はハンドルが故障していて、その車は右にしか曲がれなかった。
この例でSは仮に左に曲がろうと思っても曲がれなかったので、「責任に必要なコントロール」を失っている事になる。
しかしこれはSには責任があるという直観に反するので受け入れがたい。
3 意志実現説
そうすると、今回Sに責任があるのは、右折しようという意志がじゃまされずに実現しているからではないだろうか?
- (C3)行為者Sは、行為Aを(責任に必要な意味で)コントロールしている ⇔ Sの意志が行為Aにおいて実現されている
(「行為Aにおいて」という制限は、<殺そうという意志を持ったがゆえに指が震えてピストルを撃ってしまった>場合の考慮から来る。この場合意志は「行為において」実現しているとは言えない。)
この説は決定論とも矛盾しない。意図の形成から行為までが先立つ出来事と自然法則によって決定されていたとしても、とにかく意図がじゃまされずに行為において実現していることには変わりない。
4 意志とは何か
意志は欲求とは異なり、ある行為を行うと心を固めることである
5 意志が実現されればそれで自由か?
恐怖症・強迫性障害・薬物中毒などによって特定の意志しか持つことができない場合
脅迫・催眠術・洗脳・心理操作などによって無理やり特定の意志を持たされている場合
には、その意志が実現されても行為者がその行為をコントロールしているとは言えない。このため意志実現説はうまくいかない。