えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

徳の帰属は事実の説明でもある マッキンタイア (1984) [1993]

美徳なき時代

美徳なき時代

  • マッキンタイア・A (1984) [1993] 『美徳なき時代』 (篠崎栄訳 みすず書房)

アリストテレス的な立脚点からは、ある種の行為を、(諸)徳を発揮しているものとして、あるいは発揮し損ねているものとして同定することは、単に評価することでは決してない。それは、なぜ他ではなく当の行為が遂行されたかを説明するための最初の段階でもある。したがって、プラトン主義者にとってとまったく同様にアリストテレス主義者にとって、都市と個人の運命は、独裁者の不正あるいは守り手の勇気を引き合いに出すことによって説明されうるのである。実際正義と不正、勇気と非今日が人間の生の中で演じる役割に言及しなければ、ほとんど何も本当には説明出来ないのである。そこから帰結することだが、近代の社会科学の方法論的基準が「諸事実」――この「事実」の概念は、第七章で素描したものである――をあらゆる評価から分離するところにある以上、社会科学の説明的企ての多くが失敗せざるえないのだ。というのは、ある人に勇気や正義があったかなかったかという事実は、その方法論的基準を受け入れる人々によっては「事実」として認知されえないからである。  p. 244