えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

物理主義と不確定性テーゼ 井頭 [2010]

多元論的自然主義の可能性?哲学と科学の連続性をどうとらえるか

多元論的自然主義の可能性?哲学と科学の連続性をどうとらえるか

  • 井頭昌彦 [2010] 『多元論的自然主義の可能性』 (新曜社)

第2章 自然主義における存在論的オプションの選択 ――物理主義的一元論、および代案としての多元論
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第3節 物理主義と不確定性テーゼ

物理主義をめぐる論争状況の理解

2.3.1 「翻訳の不確定テーゼ」と物理主義

(1)根元的翻訳と翻訳の不確定性テーゼ
これまで接触の無かった人々の言語を翻訳する「根元的翻訳」場面では、話者の発話とそれに伴う状況しか利用可能な情報が無いとクワインは考える。この時、状況と直接結びつく観察文に関しては翻訳が確定する。また、どんな状況でも肯定/否定される「定常文」の翻訳には、現地語と母語の単語の対応付け仮説「分析仮説」が必要になる。しかしこの分析仮説の妥当性はチェックの証拠は結局、現地人の言語的振る舞いと観察文への翻訳という僅かなものなので、分析仮説の体系を一意的に決定することができない
翻訳の不確定テーゼ:ある言語を別の言語に翻訳するための分析仮説は複数の仕方で設定でき、いずれも発話傾向の全体と合致するが互いには合致しない事がありうる

(2)翻訳の不確定性テーゼから「命題の非実在性」へ
 これによって、「文の意味としての命題」という考えが維持できなくなると思われる(文と文の同義関係が一意的に決定せず、「文の意味」に同一性が与えられなくなり、「文にはそれぞれ一定の意味がある」と想定できなくなる)。しかし、この結論にはさらに条件が必要。というのも、クワインは、科学理論に関して次の類似のテーゼを立てていた。
理論の決定不全性テーゼ:全ての可能な観察が確定したとしても、複数の理論が論理的には両立しないが、経験的な予測において同等であることがありうる
つまり科学理論も翻訳マニュアルも、「利用可能な証拠によっては一意的に決定されない」という性格を共有している。ところで、科学理論の方に関してクワインは、文の真理性は理論に内在的だとする一方で、我々が実際に保持している理論の内部からその真理性を真剣に、絶対的に取り扱って良いという「体系内在主義」をとる。では、話を文の真理性から同義性にうつして、「われわれが採用している翻訳マニュアルの内部から同義関係を絶対的なものとして扱う」のでは何故いけないのか(セクト主義的対処法)。

(3)「翻訳的同義性」と「理論物理学」との間の非対称性の根拠
 物理主義の採用がこの反論を退ける。物理主義によれば、「事実」とは物理学的事実にかぎられる。さらに翻訳の不確定性は物理学的事実が決定されてもなお生じる。従って、ある一つの翻訳マニュアルだけが正しく、同義性の事実を表しているということは無い〔翻訳的同義関係は物理的なものにSVしない〕。

・翻訳の不確定性テーゼ + 物理主義 → 意味の非実在性

2.3.2 解釈の不確定性テーゼと物理主義

(1)解釈の不確定性テーゼと物理主義
 未知の言語の意味理解を行う「根元的解釈」場面でも、手掛かりは言語的振る舞いと周囲の状況しかないとデイヴィドソンは考える。意味と信念は相互に依存しているので、「非解釈者と解釈者の信念とが大幅に一致することになる解釈を優遇するという」である「善意の原則」を用いて、信念帰属に制限をかけることが重要になる。しかし、「翻訳の不確定性」に対応する「解釈の不確定性」が生じ、適切な解釈理論は一意的に決定しない。

(2)解釈の不確定性テーゼから命題的態度の非実在性へ
解釈の不確定性テーゼに「意味と信念の相互依存性」が組み合わさると、ある人に対して複数の命題的態度の組を帰属することが出来る。ここでセクト主義的対処法に対応するために物理主義を採用すれば、先ほどと同じように、命題的態度の非実在性が帰結する。

・解釈の不確定性テーゼ + 物理主義 → 命題的態度の非実在性

2.3.3 不確定性テーゼが物理主義にもたらすもの

 以上より、(2つの)不確定性テーゼを受け入れると「物理主義者は意味や命題的態度の実在性を否定せざるをえなくなる」が帰結する。 その問題点として――
・様々な言説から事実性が剥奪される
・認識論的規範性を仮言命法的に理解しようとするタイプの物理主義者に困難が生じる(目的とは個人のレベルでは一種の命題的態度なので)

【物理主義者からの応答の可能性】
(1)自余の言説の事実性を放棄する
(2)放棄しない:
(i)不確定性テーゼを否定する:クワインの議論は具体例を示して十分に立証されてはない。行動傾向だけから翻訳や解釈が一意的に定まることを示せばよい。
(ii)翻訳や解釈は神経生理学的知見の発達によって定まると主張する
→(i)(ii)いずれも実際には提示されてないので、上記の帰結は出てくるとする

2.3.4 不確定性テーゼは物理主義擁護論のどの部分と対立するのか

問:物理主義の強固な説得性に鑑みれば、不確定性テーゼと物理主義との対立は、不確定性テーゼが偽だという事を示すのではないか →そうではないと論じる
 物理主義をとりつつ意味や命題的態度の実在を放棄しない立場は、不確定性テーゼと衝突する。ところで物理主義者のテーゼが定式化されたSVには二つの強さがある

弱いSV:いかなる可能世界においても、その内部では、二つのシステムが物理的に異なることなしに事実的性質に関して異なることは無い
強いSV:二つの物理的に同一なシステムは、たとえそれらが異なる可能世界にあろうと、事実的性質に関して同一である。

どちらで解釈しても物理主義は不確定性テーゼと衝突する。不確定性テーゼによれば、強いSVに関しては異なる世界の間で、弱いSVに関しては同じ世界の異なる帰属者の間で、物理的に同一の人物に対して異なる命題的態度群を帰属させうるからである。
 細かく見ると、パピノウの物理主義擁護論の中でも、「顕在化可能性」テーゼが解釈可能性テーゼと衝突する。顕在化可能性テーゼによれば、物理主義的に許容できるデータによって弁別できないような意味や命題的態度の違いは存在しないことになるからである。
しかし、顕在化可能性を擁護する議論は殆どない。わずかにパピノウがこう論じている

(i)我々の情報源は感覚器官における環境との物理的相互作用のみである
→(ii)何らかの仕方で物理的に顕在化可能でない差異は、感覚器官で検出不可能である
→顕在化可能性

しかしこの論証は次の隠れた前提が必要である

(iii)感覚器官において物理的差異として検出可能でない差異は事実的差異ではない

⇒従って以上の議論は十分説得的ではなく、物理主義の説得力も思ったほどではない。物理主義者は上記の批判をまじめに受け取るべきである。

第四節 物理主義的一元論の代案としての多元論

2.4.1 多元論の暫定的定式化

クワインやパトナムの叙述をもとに多元論的自然主義の立場の規定していく。
一元論:各専門分野を統一する<ことの真相>があると考え、科学的活動の多様性はall purpose ontologyを体現する一つのディスコースのもとに統合される(べきだ)とする立場
多元論:ある特定のディスコースを事実性の基準と見なすことに反対する立場
・両者の対立は、真理ないし事実のレベルである点に注意せよ

2.4.2 自然主義者がとりうる存在論的オプションとしての多元論とその意義

・意味や命題的態度に関して、多元論者なら「セクト主義的対処法」を行使することが出来るため、それらに関する言明の事実性を放棄しなくてもよい。従って、物理主義者に対する批判は一挙に解消されると言う利点がある。

・ところで、解釈の際に用いられる「善意の原則」はアプリオリかつ改定不可能なので自然主義とは両立しないという主張がある。しかし、善意の原則が改定不可能なのは、人間を信念や欲求と言ったものによって理解することを目指す解釈理論(素朴心理学)の内部においてのみであり、経験的探求のなかで素朴心理学が放棄されれば、同時に善意の原則も放棄されうる。