えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

(ゲティア事例でも)悪人は悪事をわかっててやったことにされる件 Buckwalter (2014)

http://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/09515089.2012.730965#.U6E2TI1_t8Q

  • Buckwalter, W. (2014) Gettier made ESEE, Philosophical Psychology, 27: 368–383,

アブスト

 実験哲学のこれまでの調査から、多くの様々な概念の普通の適用に、道徳判断が影響することがあるということが示唆されてきた。ここには知識帰属も含まれている。しかし、認識論者はこの効果に気を使うべきだろうか? この論文で提示する一連の実験によれば、この基本的な効果は、現在の認識論の中で理論的に最も中心的な思考実験――ゲティア事例で働く直観を覆すまでに拡張されうる。さらに、3つめの実験によって、この効果が単なる非難したい欲求によって仲介されているというのはありそうにない事が示され、正しい日常の知識帰属の心理的説明は道徳判断を含むものとなるだろうと示唆される。

1.序論

 伝統的な認識論は、信念が真である公算を上げる要因(正当化、証拠、信頼性)の分析に焦点を当ててきた。しかし最近では、日常言語により焦点を当て、語「know」の日常的用法を説明できるという点に基づいて特定の説を擁護する新しいトレンドもポピュラーになってきた。ここでは、非常に驚くべき要因が知識帰属に影響するという主張がなされている(例えばステイクあるいは被帰属者の実践的関心(Fantl & McGrath [2010], Hawthorne [2004], Stanley [2005])、間違う可能性が帰属者にとって顕著となっている度合い(DeRose [2009], Cohen [2004])など)。
 これらの主張は記述的な性格を持つので、実際に主張をテストするために、実験哲学とのコラボレーションが進んでいる。さらに実験哲学は、有名なノーブ効果の研究に導かれて、先行する価値(道徳)判断が彼らが行う知識帰属に影響を与え得るという認識論的副作用効果(ESEE)の存在を示唆してきた(Beebe & Buckwalter [2010])。
 では、認識論者はこうした道徳判断の影響に注意を払うべきだろうか? この論文ではゲティア事例に関連する標準的な直観が道徳的判断によって覆されるというデータを示すが、これは日常言語的なアプローチに好意的な認識論者には重大な含意を持つだろう。

2.ESEE判断に関する先行研究

 Beebe & Buckwalter [2010]は、ノーブが用いた例のシナリオ

副社長が社長に言った「こういう事業を始めようと思います。わが社の利益になるでしょうが、環境を破壊/保全することにもなるでしょう」。ここで社長「環境を破壊/保全するとかはどうでもよろしい。私はできる限り収益を上げたいのだ。事業を始めたまえ」。事業が開始され、やはり環境は破壊/保全された。


と同じものを被験者に与え、しかし、社長の意図ではなく、社長が環境破壊/保全に関係する知識を持っていたがどうかを尋ねた。すると、元のノーブ効果と同じ実験結果が得られた。つまり、副作用の結果が悪い場合、シナリオの中の社長は、自分の行為が環境を破壊することになると知っていたとより言う傾向にあり、逆に、副作用の結果が良い場合、社長は自分の行為が環境を保全することになるとは知っていたとあまり言わない傾向が見出された。
 道徳的要素が意図性や知識に影響を与えるというこの現象を心理学的にどう説明するかは未だ議論中である。競合する諸理論はおおきく2つに分かれる。

ゆがめ説

 道徳的考察が、概念の通常の使用をゆがめていると考える説。道徳的考察のもたらす情動的反応がバイアスをかけるのだとする説(Nadelhoffer[2006])、会話上の語用論によって全て説明されるとする説(Adams & Steadman[2004])、非難したいという欲求を正当化するために当の概念を帰属するのだと言う説(Alicke[2008], Malle & Nelson[2003])など。

能力説

 道徳の影響は当の概念の真の使用を仕方を反映しているとする説。道徳的判断は反事実的な推論で役割を持ち、反事実的推論は当の概念の正しい使用の根底にあるとする説(Halpern & Hitchcock[2010])、道徳的考察は人々が関係すると考える対照的な結果のクラスを固定し、この対照群が知識帰属の真理に影響を与えるとする説(Schaffer & knobe [2010])など。
 議論は袋小路に入った観がありつつまだ継続中だが、この論文での関心は、認識論者が知識帰属の道徳的要素の存在から学ぶことのできる教訓にある。ゆがめ説をとっても能力説をとっても、認識論者には重要な含意があることになる。我々は副作用効果がゲティア事例にまで及ぶことを発見した。

3.認識論におけるゲティア事例

 ゲティア事例は、正当化された真なる信念が知識であるという見解に反対する直観を生み出す事例として扱われている。この問題に対する最善の哲学的応答をめぐる議論は多くなされているが、この直観自体の心理学的起源に関する考察は少ない。しかしこれが分かれば、哲学的に有益なこと大だろう。
 John Turri[2010]は、ゲティア事例で登場人物が道徳的に悪いと判断された場合、この先行する道徳的判断は、主体への知識帰属につながるだろうと示唆した。これが本当なら、ゲティア主体は知識を持たないという認識論界隈で広く受け入れられている見解が完全に覆ることになる。そこでこの示唆を実際にテストしてみた。

4.GESEE実験

1.ポンプ (N=86, 平均年齢=36, 52 女性, 87% 白人)

サムの仕事は貯水池に水を汲むことだ。この貯水池は、この地域の何軒かの家が持っている農場に水を供給する。ある日、サムはポンプを動かしながらラジオを聞いていた。ラジオによると、近隣の工場から新たな化学物質Xが給水所に伝わってきているかもしれず、この物質が市民の作物をおおきく[成長/枯れ]させる可能性があると、町が疑っているそうだ。サムはこう考えた:「あいつらの作物の事はどうでもいいや、ただ給料が欲しいだけだしな」。そして水を汲み続けた。さて確かに、作物は[成長し/枯れ]はじめた。市は水の中の科学物質に関しては完全に見解を誤っていたことが明らかになり、水を分析してみると、化学物質Xの痕跡はまったくなかった。後から出た科学者の報告によって、作物がみんな[成長/枯れた]のは、サムのポンプの中でひそかに成長していた菌類のせいであったということが確認された。

以上のシナリオを被験者に与え、「サムは水を汲むことで町民の作物が[成長する/枯れる]だろうと知っていた」に対する賛成の度合いを7段階で評価させる(1が全くそう思わない、4がどちらとも言えない、7が全くそう思う)
 ゲティア事例の通例どおり、サムはこの結果が起こるだろうと信じており、その信念はよい証拠によって支持されており、そして実際に真なのだが、しかし偶然によって真になっている。
【結果】
有益:中央値3.05 標準偏差=1.59
有害:中央値4.86 標準偏差1.7 
t検定:t(84)=5.04, p<0.01, d=1.10
→元のESEEと同じ効果が見られた

2.市長 (N=78, 平均年齢=36, 46 女性, 76% 白人)

 上の例に個別的な特徴によってこの効果が生じている訳ではないことを確認するためにもう一例

 ある小さな市の市長が地元の企業と新たな契約にサインするか否かを決めようとしている。計算は非常に複雑だが、しかし彼の経済的戦略家はみな、契約の一つの結果としてこの地域の労働者の雇用を[創出する/削減する]ことになる見込みがかなり高そうであると考えている。市長は言った「私が気にしているのは選挙への影響で、人々の雇用ではない。ここで契約に同意すればこの企業から数百万円が得られるとわかっている」。そこで、彼は契約にサインすることに決めた。〔★〕しかし、企業は大事をとって、市長がサインするすぐ前に契約書をまったく違うものに秘かにすりかえていた。細則をすべて変更し、社長が自分がサインしたと思っているものとは全く反対に変えたの事例もあり、企業は自分の欲するとおりに事を運んだと確信できた。さて確かに、市長が契約にサインしてすぐ後、地域のかなりの人数が職を[得た/失った]。そして、市長は再選のための選挙活動に多く寄付金を得た。

「市長は契約にサインすることで雇用を[創出/削減]することになると知っていた」に対する賛成の度合いを評価させる
【結果】
有益:中央値=4.11 標準偏差=1.86
有害:中央値=6.05 標準偏差=0.94
t検定:t(76)=5.92, p<0.01, d=1.32
→元のESEEと同じ効果が見られた

3.市長(三人目がいる)(N=85, 平均年齢=34, 50 女性, 81% 白人)

 既にみたように、人々が実験1や2で被験者に知識を帰属させるのは、悪い結果に関して彼らを道徳的に非難したいと言う欲求を正当化するための方法としてなのだ、という批判がある。この主張を確かめるために、上のシナリオの★のところに次のような文をはさんだ

秘書であるジェームスは全てを偶然聞いていて、市長の発言にぎょっとした。しかし市長は契約にサインすることに決めた。

そして「秘書ジェームスはこの地域の人々が職を[得る/失う]と知っていたか」と尋ねた。
ここで、ジェームスは良い/悪い結果を引き起こした人物ではないのだから、ジェームズに対する知識の帰属は非難の欲求には関係しない筈である。
【結果】
有益:中央値=3.95 標準偏差=1.48
有害:中央値=4.98 標準偏差=1.72
t検定:t(83)=2.94, p<0.01, d=0.64
→元のESEEと同じ効果が見られた

この結果は上の主張に反する。勿論、この実験3だけでゆがみ説が全く無効だと示せたわけではないが、ゲティア事例での知識帰属をあっさり片付ける前にさらなる実験的証拠が必要だということは示せただろう。

5.ディスカッション

・ESEEに対するデフレ的説明:企業は環境を保全するより破壊しがちであるという一般的想定があるので、破壊条件では知識の帰属に十分な証拠でも、保護条件では不十分となる。だからこの効果は道徳的要素ではなくて単に正当化の量の問題である。
 GSEEの結果はこの仮説を排除する。何故なら、事例で得られている証拠は信念を真にするような事態とは切り離されているからだ。標準的な哲学的直観によれば、そもそもゲティア事例の構造は、どんな量の正当化があっても、主体に知識は帰属されないだろうということを示すとされているのであった。だからESEEのGESEEへの拡張は、知識帰属には道徳的要素があるという点にさらなる証拠を与える。
→しかし道徳的評価が知識帰属にこうした特定の効果を及ぼすのはなぜなのか。2節でみたゆがめ説と能力説、それぞれがもつ認識論的含意を検討していく。

ゆがめ説の含意

(実験3はゆがめ説の排除に決定的ではない)ゆがめ説によれば、今回のようなゲティア事例で知識が帰属されてしまうのはパフォーマンスエラーだということになり、人が実際に何を知っているかについての哲学理論には情報を与えないことになる。
 しかし、道徳的考察がゲティア事例に体系的に影響を与える要素なのだとすると、通常のゲティア直観の証拠としての信頼性が減ることになるだろう。何故なら今回の結果は、他の同じような暗黙の要素が知識帰属の判断に影響を与えているかもしれないという問題を誘発するからである。

能力説の含意

 一方で能力説によれば、道徳性は知識概念の一部である。この立場に立つなら、ゲティア主体に関する知識帰属には、道徳的要因の際立ちが重要であり、今回のような条件の下では人々は主体が知識を持つと(ゆがめられているのではなく)本当に考えていることになる。従って、認識論が普通の知識概念の説明を行うべきだと考えるならば、既存の理論を道徳的要因をも公平に扱うように改良していかなくてはならないだろう。
 
 以上からわかるように、「知る」という語にまつわる直観を知識に関する証拠の重要な源泉と扱う限り、どちらの説明をとろうともゲティア直観の証拠としての信用性は下がる。ゆがめ説をとるならば、ゲティア直観は非常に簡単に操作されうるという理由により。能力説をとるなら、保全条件のゲティア主体は知識を持っていると言わざるを得なくなってしまうと言う理由により。

第三者という手法

 道徳的要素の認識論への影響の説明は、意図性へ影響の説明にも適用されるかもしれない。意図性の判断を問題にするの場合には、本人つまり行為に対して因果的に責任のあるものに関する判断が対象となるが、しかし実験3で見たように、知識の問いは因果的責任と独立に問われ得る。GESEEはこうした第三者の事例でも存続するので、このような第三者を用いた実験方法がゆがめ説‐能力説という対抗する説明をテストする新しい方法を与えてくれるかもしれない。

6.結論

〔5節の繰り返しなので省略〕