http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/28678/1/tkr001002.pdf
- 野矢茂樹 (1999) 「行為とできごとに関するいくつかの所見」(哲学・科学史論叢 第一号 pp. 39-78)
「窓を開け、部屋に風を入れることにおいて私〔野矢〕が二つの意図的行為を見るという点に関して、信原幸弘氏から反論が寄せられた。彼はここに「部屋に風を入れる」というひとつの意図的行為のみを見てとる。理由はこうである。意図的行為かそうでないかのひとつの重要な基準は、何をもって成功とみなすかにある。そこで、部屋に風を入れようとして窓を開けたところ、無風状態で風がまったく入ってこなかったとする。そのとき、ここにもし二つの意図的行為を見るのであれば、窓が開いたことで部分的成功を見なければならない。「まあ、窓が開いたところまでは、成功だな」というように。しかし、それは慰めとしては良いかもしれないがあまりまともな評価とも思えない。それゆえ、ここに二つの意図的行為を見ることは適切ではない、というのである。さらに、私が「一般に手段目的関係において手段もまた意図的行為でなければならない」と主張すると、「いまと同じ理由により、手段は意図的行為ではない」と却下された。そこで私が、「一石二鳥の場合にはひとつの身体動作で二つの意図的行為が為されていると言えるだろう」と言うと、「一石二鳥における『二鳥』は『によって』の関係で結ばれているものではない」と批判された。ことごとくもっともである。 pp.71-72