えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

自己欺瞞と妄想の関係性 Mele (2009)

Delusion and Self-Deception: Affective and Motivational Influences on Belief Formation (Macquarie Monographs in Cognitive Science)

Delusion and Self-Deception: Affective and Motivational Influences on Belief Formation (Macquarie Monographs in Cognitive Science)

  • Bayne,T & Fernández, J ed. [2009] Delusion and Self-Deception: Affective and Motivational Influences on Belief Formation

Mele, A. "Self-Deception and Delusions" ←いまここ
McLaughlin, B. P. "Monothematic Delusion and Existential Feeling"

自己欺瞞

意図説と動機説

・伝統的に、自己欺瞞は他人を欺くことと類比的に捉えられてきた。つまり、欺き手は、自分自身を、pと信じるように意図的に欺く。この時欺き手には、pと信じ且つpでないと信じている時点が存在する。メレは伝統的見解を批判し、自己欺瞞が意図的な欺きや2つの同時的に矛盾した信念を含意しない見解を擁護する。しかし、ただ誤ってpと信じているだけでは自己欺瞞に不十分であり、誤信念に到る動機が重要な論点となる。

二種類の自己欺瞞の区別
  • 1.まっすぐな自己欺瞞:真であって欲しいことを真だと信じるように自らを欺く

ex.うちの子にはクスリなんてやっていて欲しくないので、うちの子はクスリをやっていないと信じるようになる

  • 2.ねじれた自己欺瞞:偽であってほしい(そして、真であって欲しくない)ことを真だと信じるよう自らを欺く

ex.妻には浮気して欲しくなく、しかも証拠は薄いのに、妻が浮気していると信じるようになる

どのように自己欺瞞は動機づけられるか

・まっすぐな自己欺瞞において、pと欲すること(Dp)がpと信じることに寄与する仕方を例示する。

  • (1)ネガティヴな誤解釈

・Dpがなければpに不利だと容易にわかるはずのデータを、pに不利なデータではないとDpのせいで誤って解釈してしまう

レックスは投稿論文がリジェクトされた旨の通知を受け取った。このリジェクトが不当なものであって欲しいと願い、レフェリーのコメントを読んでみたところ、レフェリーは二つの重要だが複雑な点を誤解しており、彼らの反論はリジェクトを正当化しするものではないという判断にいたった。しかし実際のところレフェリーの批判は正しく、数日後、レックスがもっと偏らない心で自分の論文とコメントとを読み返した時、なるほどそうであるとレックスにも明らかになった。

  • (2)ポジティヴな誤解釈

・Dpがなければpに不利だと容易にわかるはずのデータを、pを支持するデータだとDpのせいで誤って解釈してしまう

シドは大学の同級生で良く一緒に勉強するロズを非常に好いていた。ロズが自分を愛していることを欲していたので、社交会への誘いを断られたり、彼氏がいるのだと念を押されても、それはロズが「わざとつれなくしている」のであって、もっと彼女を追い求めるよう、自分の彼女への愛が彼女の自分への愛に敵うものだと証明するよう自分を仕向けているのだと解釈した。

  • (3)注意が選択的に

・Dpのせいで、pに不利な証拠に注意を払わず、pを想い起させる証拠に注意を集中させてしまう

12歳のベスは最近父を亡くした。自分は父のお気に入りだった事を欲したのもあって、ベスは自分が父の愛情を一入浴びているような写真や記憶に注意するのは快く、兄弟がそうであるもの注意するのは不快だと分かった。そこで、前者に注意を集中し後者には注意を払わなくなった。このことが、ベスをして自分は父のお気に入りであったのだと思わしめるに寄与したのだが、これは誤りだった。実際のところ父は兄弟たちと一緒にいる方を好んでいたし、その事実は家族アルバムが十分に実証していた。

  • (4)証拠集めが選択的に

・Dpのせいで、容易に手に入るpに不利な証拠を無視し、より入手困難なpに有利な証拠を見つけようとしてしまう。(望まれた事態を支持する証拠への敏感さと、反対の証拠に対する盲目とに分析される)

ある活動団体の一員であるベティは、自分の推薦者を高く買っていたが、彼がセクシストだという噂を対立陣営から耳にした。しかしベティはそうでないことを願った。この願いが彼女を突き動かし、ジェンダーに関する問題について彼の政治的潔白を証拠立てるような投票記録を調べ上げさせ、個人的な行動についても活動団体の人々に情報を求めさせた。ベティは自身の見解を支持するような明らかでも重要でもない証拠を集め続ける一方で、彼がセクシストだという明白で重要な証拠を見逃してしまった。彼は実際セクシストだったのだ。この結果として、ベティは彼がセクシストではないと信じるにいたったのだった。

→こうした4例の誰も、<先ず¬pという真なる信念を持ち、それから、意図的にpだと信じるようにした>訳ではない。しかし、ここで例示したような仕方での信念形成は、自己欺瞞の一般的事例である。

動機づけられていない偏った信念

・pを想い起させる証拠に注意を払うというのは<内在的に快い>ので、欲求が(3)を引き起こすのは理解できる。しかし(1)(2)(4)は内在的に快いわけではない。どのように欲求はこれらを誘発、維持するのか? 動機づけられていない偏った信念の源泉に注目せよ。
・情報の際立ち:データの際立ちは、その具体性、感覚・時間・空間的接近の関数である。際立ったデータは、認知、注意、想起の対象になりやすい。従って、際立ったデータは信念形成・維持に傾向的影響を及ぼす。
・確証バイアス:仮説をテストする人は、反証例より確証例を探しがちで、後者をより簡単に認識する。従って、比較的中立的なデータは、仮説を支持するものとして解釈されがち。
→このような源泉は、動機づけられた偏った信念形成の過程で、Dpによって誘発され、維持されることがある。
・Dpはpを支持すると思われるデータの際立ちを上昇させうる。→(4)
・Dpは可能な仮説の際立ちに影響し、pが真であるという仮説をテストするようにさせ、確証バイアスが働く準備をする→(1)(2)

FTL理論:ふつうの人の仮説テストに関する理論

中心的アイデア:普通の人の仮説テストは、コストの高いエラーを最小化しようと言う関心によって進む

・エラー:誤った信念
・コスト:自分の信念や欲求を考慮した上で、ある信念が偽である時に生じると考えるのが合理的であるようなコスト

確証閾値:FTL理論の中心要素。低くなるほど、薄い証拠でも閾値を超えるのに十分になる

・受容閾値:仮説pが真だという信念を獲得し、テストを中断するのに十分なp確信の度合いの最低値。
 情報コストと比較した、間違ってその仮説を受容してしまった時のコストに依存する
・拒絶閾値:仮説pが偽だという信念を獲得し、テストを中断するのに十分な¬p確信の度合いの最低値
 情報コストと比較した、間違ってその仮説を拒絶してしまった時のコストに依存する
・情報コスト:仮説に関連した情報を集め、処理するのに必要なリソースと労力
→従って確証閾値は、情報コストに加え、コストの高い特定のエラーをどれだけ嫌悪(aversion)するかによって決定される。誤ったBpを嫌悪するほど、pに対する閾値は高くなる。

嫌悪が信念に影響する二つのやり方

・低い閾値ほど届きやすい:¬pよりpに高い閾値を持っている人にとっては、BpよりB¬pが結果として出てきやすい。
・どのように仮説をテストするか、いつテストを止めるかに影響
・Friedrichによれば、特定の間違いを避けたいという欲求はATS(自動テスト戦略)を起動・維持させる。ATSとは、Dpによってpを支持する証拠の際立ちの上昇が帰結する非意図的な戦略である。
・メレによれば、嫌悪によってp/¬pの証拠集めにバイアスがかかりつつ、こうした効果が「その振る舞いが誤ったB¬p/Bpを避けることになる」という信念に媒介されていないことがある。

FTL理論と自己欺瞞

・まっすぐな自己欺瞞:自分を誤って批判したり、自尊心を低下させることを誤って真だと信じてしまうというエラーは、よく目立つし心理的不快という点ですぐに気付かれる。自己欺瞞すること自体のコストがほとんど無い場合、誤ってセルフイメージを低下させたり、適切に高められなくなるというのは重大なエラーである。かくしてこのエラーを避けるために自己欺瞞が生じる。
・ねじれた自己欺瞞:普通の人にとって、例えば「妻が貞潔だ」という誤信念を避けるより、「妻が不貞」だという誤信念を避ける方が重要である。普通、妻が不貞だという信念は大きな心理的不快を引き起こすゆえに嫌悪されるが、嫉妬深い人は反対で、「妻は貞潔だ」という誤信念を避ける方が重要であり、この信念に到らないような仕方で仮説をテストする。
SharpsteenとKirkpatrikによれば「嫉妬複合体」(嫉妬エピソードに典型的に結び付けられるような思考、感情、行動等)は、親密な関係を維持するためのメカニズムであると解釈でき、これは愛着対象との別れによって誘発される。「妻が貞潔である」という点でエラーすると、第三者に対して二人の関係を守るための手を打つ可能性が減る。かくして自己欺瞞が起こる。

自己欺瞞における感情の役割

・情動は欲求を構成要素として含むとしばしばいわれるが、欲求に関係ない仕方で情動が自己欺瞞に寄与することはあるか?
・先ほどBobに悪態をつかれたArtの怒りは、今のBobの振る舞いについて、その情動に応じた仮説を示唆し、確証バイアスを準備するかもしれない。怒りは、事象を環境要因よりも行為者性によって説明するよう注意を選択させやすい事が知られている。
・構成要素である欲求のバイアス的役割抜きに、情動がバイアスをかけることがあるかもしれない。FTL論者なら、Artは「Bobはまた悪態をついている」という仮説に対して低い閾値をもっており、この閾値の違いは少なくとも部分的には欲求によるものだ、と言う風に考えるが……
→このケースは議論の余地があるのでオープンにしておく。

偏らない観察者によるテスト(IOT)

・ここまでで示唆されてきた自己欺瞞の分析の原型は次のようになる。

  • SがBpの獲得において自己欺瞞に陥っている⇔pは偽であり、Sは適当な形で偏ったやり方でBpを獲得している。

・ここで言う適当さ(自己欺瞞にとっての適切さ)のレベルを計るためのテストが「偏らない観察者によるテスト」

【偏らない観察者によるテスト】
SがBpを持っており、D を信念形成時にSに利用可能だった関連データの総体だとせよ。また、Sの偏らない認知的同等者にとってもDが利用可能であり、また彼らは少なくともSと同じ位十分に、そして適当な回数の反省をするとせよ。この時、彼らのうち、pは偽だと結論する者がpは真だと結論する者より優位に上回っていれば、Sの信念は自己欺瞞的に偏っている。

・偏らない認知的観察者は、(1)DpもD¬pも持っていない(2)誤ったBpと誤ったB¬p、片方をもう片方より避けようとしていない(3)pの真偽について情動的関心を持っていない。
→このテストは、何が自己欺瞞的かについての常識的判断を与えるような概念的背景に潜在的に含まれている。

妄想

カプグラ妄想

マハーの説

・妄想に関するブレンダン・マハーのモデルは次の二つの仮説を含む
1:妄想的信念は、普通の信念と同様に、経験を説明する試みから生じる。
2:妄想者が経験から信念へ推論するプロセスは、普通の人の推論プロセスと大きくは変わらない。
・マハーによれば、カプグラ妄想者は自分の妻を新しい仕方で経験する。妄想はこの経験を説明しようという試みの産物である。

2要因説

・一方、デイヴィスらのtwo-factor theoryは次のような二要因を考える
1:妻は偽物だという観念を内容に含む経験
2:この経験を真正のものとして受け入れてしまうことを説明するような問題 = 普通の人はこの経験が真正だと無反省に受容するのを保留し、知覚経験の資格をより距離を取って批判的に評価する。妄想者はこれが出来ないという点に問題がある。〔認知的な障害〕

二人の提案とIOTとの関係

・マハーの提案によれば、普通の人でも妄想者が持っているような証拠がはっきり示されれば、妄想者と同じ結論に到る事になる。しかしこれはありそうにない(彼を見ている医師はそう結論しないし、カプグラ妄想者と同じ種の顔経験をした人が妄想的信念を抱かないことを示した実験もある)。マハーは、普通の人にカプグラ妄想患者の経験はどのようなものかはっきり示されることは、実際にはあり得ないのだと考えていたのかもしれない。この場合、IOTの陪審員となる観察者はカプグラ妄想患者に特有なタイプの証拠を経験している人に制限されることになる。
・妄想者のうち何人かは、自分の妄想的信念のありえなさを十分に把握している事が知られている。そこで、IOTの陪審の内でも妄想患者も、カプグラ的経験を持つが妄想を持たない人も、妻が偽物だということは偽だと判断するだろう。(→カプグラ妄想は自己欺瞞的?)
▲しかし、このことは、テスト対象者のデータの取り扱いが動機/情動的に偏っている事の良い証拠になるのか?
・被験者にはあって陪審にはない非動機/情動的な要因が、因果的/説明上の役割を果たすことがありうる。これは、認知的な障害がカプグラ妄想を説明するというデイヴィスの図式である。
▲そこで、陪審を特定の認知的障害を持つ者にさらに限定したとしても、この障害が生じてくるのは自分自身の経験に対する応答としてなので、テスト結果は変わらない。
→従って、もしデイヴィスの提案のように、奇妙な経験と認知的メカニズムの障害が妄想を引き起こすなら、妄想は自己欺瞞の範囲外だということになる。

情動

・情動的な変化は確かに妄想形成に重要な役割を果たしているが、データを引き起こすことと、データの取り扱いにバイアスをかけることとは別である。
・例えば、コタール妄想とカプグラ妄想を交互に経験する人がいる。ここで重要なのは気分(mood)であるという。気分が疑り深くなっている時には他人が偽物だと考え、気分が落ち込んでいる時には自分が死んでいると考える。この事例に対してデイヴィスらの立場では、二つの説明が可能である。
1:それぞれに特別な観念が経験のうちに含まれている
2:それぞれの気分がそれぞれの妄想の原因の一部となっている。
▲しかし、気分はデータにバイアスをかけるわけではなく、経験的データを〔直接〕引き起こすという形で妄想に関係している。
→ここまでの議論からは、「カプグラ妄想患者は動機/情動により偏ったデータの取り扱いをする」という案は肯定されない。

妄想的嫉妬〔オセロ症候群〕

  • 妄想的嫉妬:自分の性的的パートナー―が不貞であるという妄想

・しかし嫉妬の正常/異常を区別するのは非常に難しい。上で見たねじれた自己欺瞞を、嫉妬的妄想を含む連続体に位置付け、両者はオーバーラップすると考えることができるかもしれない。このアイデアは妄想障害の嫉妬型を「正当な理由がない」「わずかな「証拠」によって支えられた誤った信念に基づいている」と特徴づけるDSM4とも整合的である。
▲だが、妄想的嫉妬は他のさまざまな症候と狂気するという証拠も多く、妄想的嫉妬を自己欺瞞と連続でとらえるのは困難かもしれない。

可能な説明1

・嫉妬深い人と妄想的嫉妬を抱く人は、パートナーが不貞だという同じ信念を持つのだが、その原因が違うので互いにオーバーラップするものではない。
・例えば、「妻が浮気してるぞ」と告げる幻聴を持つ人を考えると、認知プロセスの障害によって、この幻聴経験を真だと受け止めてしまうのだというデイヴィス的な説明が可能である
・この種の幻聴や幻覚がないとしても、妄想的嫉妬には盗みや迫害の妄想が伴いやすい点に注目できる。妄想がセットになってあらわれてくる場合、特に内容上のつながりがある場合には、共通原因を考えたくなる。この場合、盗みや迫害の妄想が自己欺瞞の範囲外だと考えるなら、嫉妬の妄想も自己欺瞞ではないと考えるべきである。

可能な説明2

・妄想的嫉妬にFTLモデルをそのままあてはめえる
・FTLによれば、妄想的信念を抱く人は「妻が貞潔」命題に異常に高い閾値を持っていると考えられる。この説明を補強するためには、この人にとって当の命題のコストがそれほど高いのはなぜなのかについて尤もらしい説明が必要である。

逆オセロ症候群

  • 逆オセロ症候群:恋人が貞潔だという妄想的信念。まっずぐな自己欺瞞と同様、そうあってほしいことを信じてしまう。この症状では、動機が重要なバイアスの働きをしていると予測が付く。
BXの事例

車の事故で脳を大きく負傷したBXは、もう五カ月も前に彼女Nにとわかれていたのにもかかわらず、Nはまだ性的に貞潔で自分の恋人・生涯の伴侶であり続けているという強い妄想的信念を持っていた。さらにはNと結婚したと考えるにいたった。他の妄想は見られなかった。しかし数ヵ月後、彼の妄想体系は壊れ始め、さらに数ヵ月後には真実を受け入れるようになった。

・BXと自己欺瞞者の重要な違いの一つは、「Nと結婚した」という信念である。もし結婚の信念に経験的な基盤がないなら、これは夢か幻覚と同列の物と言うことになる。実際そうだとしよう。この夢/幻覚はNと結婚したい欲求によって引き起こされ、またNと結婚した信念を引き起こしたのだとしよう。この時、動機は信念形成において役割を持っているが、その役割は認知的障害の働きを強調したことだと考えられる。何故なら、現実と根本的に違う夢/幻想を見たときでも、深刻な認知的障害がない人なら、その経験を真正なものとは見なさないだろうからだ。(願望―【動機付け】→夢/幻覚―【認知障害】→信念)
・BXは結婚に関する証拠の不在に関して問われても、結婚したのだと断固主張し続けた。恐らくBXは結婚を示す証拠の不在については考えることを欲しなかったのだろう。BXは想像上の結婚に注意を払い、それに不利な証拠を避けるように動機づけられていたかもしれない。この場合、信念獲得において自己欺瞞的ではないにせよ、信念維持において自己欺瞞的であると言える。

カプグラ妄想再訪

→ではカプグラ症候群も、恋人が入れ替わっていると信じ続けることにおいて自己欺瞞的だと言えないだろうか?

場合1
  • デイヴィスらの言う「〔経験の〕真正性を無反省に受容するのを保留する」能力の障害が「不可能」レベルの場合

・カプグラ妄想者がBXのように反対証拠についての反省を拒否したとしても、その選択的注意が信念保持の原因だとはいえない。かえって、もし反省したとしても信念の変化は見られないだろう。何故なら、定義からして、彼は信念を批判的にはねのけることができないからである。

場合2
  • 「極端に難しい」レベルの場合

・選択的注意が妄想維持に働いているかもしれないが、自己欺瞞だと言えるのに十分な程度に働いている訳ではないだろう

→やはり「カプグラ妄想患者は動機/情動によって偏ったデータの取り扱いをする」という案は肯定されない。

メレと自己欺瞞

・メレは妄想に関して決定的回答を出せなかったが、主題の難しさを考えれば仕方がないと思っている。メレは自己欺瞞的か?