えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

「意志の弱さ」概念のプロトタイプ説 May & Holton[2012]

http://www.springerlink.com/content/0n4038jq0w088874/

  • May & Holton (2012) What in the world is weakness of will?

アブスト

 少なくとも20世紀中盤以降、哲学者は「意志の弱さ」を「アクラシア」、つまり自分自身にとって何が最善であるかの判断に反して行為すること、行為する傾向にあることと同一視してきた。しかし、これが普通の「意志の弱さ」概念を捉えているか否かという点で、近年論争がある。リチャード・ホルトンは捉えていないと言う。一方アルフレッド・メレはある程度とらえていると言う。メレが気づいていた通り、ここでの普通の概念に関する問いは経験的探求を必要とする。我々は、そもそも普通の「意志の弱さ」概念とは何なのかを探求するために、メレの研究を吟味し、また我々自身の実験についても報告する。我々は(以前の)ホルトンもメレも精確には正しくないと結論し、我々自身の暫定的な提案を提示する。つまり、普通の考えはプロトタイプ/クラスター的な概念により近く、その適用は様々なファクターに影響される。

1.導入

・意志の弱さに関して二つの異なる考え方がある。
(1)自分の最善の判断に背いて行為する
(2)決断をあまりに早急に改定する
Holton[1999]は、我々の素朴な「意志の弱さ」概念に対応するのは(2)だけで、(1)は哲学者の創作物であると論じた。そして(1)を『アクラシア』と言うことにした。
→スローガン:意志の弱さは『アクラシア』ではない。
・一方Mele[2010]は、実験哲学で馴染みのサーベイ方法を使ってHoltonの見解は誤っていると議論した。Meleによれば素朴な「意志の弱さ」概念は選言的であり、「(1)あるいは(2)」という形をとっている。
・筆者は経験的知見を用い、どちらの見解も正確には正しくなく、素朴な「意志の弱さ」概念はプロトタイプ的/クラスター的概念である、と論じる。

2.ホルトンに対するメレの事例

【意志の弱さの決断説】

・Holton[1999]によれば、他の誘惑に屈してしまいそうな状況に直面した時にもあの行為に固執しようという特殊な意図/計画、つまり「決断」への違反こそが「意志の弱さ」の本質である。
・例:たばこを吸わないのが最善だと判断しながら、禁煙の計画をまったく立てない人
→この行為は定義からして『アクラシア』である。しかしHoltonはここに「意志の弱さ」を認めない。

【意志の弱さの選言説】

・Mele[2010]は行為者がもつ二種類のコミットメントとそれに対応する二種類のアクラシアを分ける。
・評価的コミットメント:どの行為が最善かの判断:伝統的アクラシア
・実行上のコミットメント:決断:非伝統的アクラシア
このうえで、2つのコミットメントのいづれかに反する行為が意志の弱さであると主張した。
・Meleは自説への経験的証拠として、大学生に「意志の弱さ」の意味を尋ねる調査を行った。

(1)「意志の弱さ」で何を意味しているか、被験者に定義してもらう。
・「すべきでないと信じていること/知っていることを行うこと」に言及したのは11人(15%)
・「自分がしないように選択、決定、意図、決断したことを行うこと」に言及したのは1人(1.4%)★

(2)3つの選択肢から選んでもらう。
 A:すべきでないと信じていること/知っていることを行うこと(49%)
 B:自分がしないように決定、意図したことを行うこと(33%)★
 C:どちらでもない。AもBも適当/不適当である(18%)

★がHolton説から高い値を予想できる選択肢であるが、どちらの調査でも高くない。
→ここからMeleは、2つの調査はHoltonの説に不利、自説に有利な証拠を出すものだと論じた。
・Holtonは、普通の人は「意志の弱さ」という観念を決断への違反として説明するだろうと論じていた。従ってこの調査はHoltonへの対人論法としては有効といえる。しかし、素朴な概念の解明としての価値は疑問である。実験哲学の普通の方法では、人々が概念に関して説明する抽象的原理〔定義〕ではなく、特定の語・概念の実際の適用に焦点を当てる。普通の人は前者は得意ではないと考えるからだ。この実験の意義はこの点を差し引いて考えるべきである。
Meleは後の2つの実験ではもっと標準的な、シナリオを用いた方法を使っている。

(3)ジョーは禁煙するのが最善だと信じている。大晦日、彼はいつ禁煙するか改めて考えた。禁煙は辛く、開始するのに適切な時期をとらないと失敗すると知っていた。ジョーは煙草を吸うのは今夜で最後にし、それ以降は禁煙するのが最善だと判断した。そのことを妻ジルに伝えた時、妻はそれは新年の抱負かと尋ねた。そこでジョー「+いや、まだだ。まだ実際やめようとは決めてない。そう決定するのは難しいだろうし。そのためには心の準備をしないとね+。40年煙草を吸い続けてきたけど、やめられると思う、ただ、まず煙草が恋しくなるだろうな」。結局、ジョーは禁煙を決定しなかった。翌日、ジョーはいつもより煙草を吸わなかったのだが、いつも通り起きてすぐに最初の一本を吸った。しかし、ジョーは禁煙を決定することもできたし、そうしていれば禁煙していただろう。

→リッカート尺度(とてもそう思うを1点〜まったくそう思わないを7点とする)を使って「ジョーはこのストーリーの中で何か意志の弱さを示した」と言う主張に対する賛成度合いを尋ねた。この事例でジョーは最善の判断に反して行為しているが、決意に背いたわけではない。そこでHoltonの見解によれば、不賛成が多くスコア高くなることが予言される。しかし結果、スコアは2.68(まあまあそう思う〜まあそう思う)となった(賛成は80%、不賛成は16%)。Meleはこの結果はHoltonの見解に反すると主張した。

メレの実験の3つの問題点

▲1)このシナリオを決定違反を含むものとして読む理にかなった読み方がある。
 + +部分を、禁煙の決定に対する決意(2階の意図)と読んだ人がいるように思われる。そうすると、このシナリオの中でも決定違反が行われており、Holtonの説に従っても賛成割合が高くなる。
▲2)「何か意志の弱さを」という問いの言葉遣いがまずい。Holtonの主張の眼目が、意志の弱さの中核は決意違反であり、判断違反は比較的些細な役割しか果たしていないという点にあったのだとすれば、被験者はジョーが何らかの意志の弱さを示したと賛成するだろう。
▲3)Meleが行った類似の実験と結果が有意に異なっている。
 同じセッティングで「ジョーはどんな意志の弱さも示していない」と否定形で尋ねてみると、不賛成(先ほどの賛成80%)は58%、賛成(先ほどの不賛成16%)は38%となった。Meleはこれを気懸りな結果だとしつつも、多数派(80%、58%)がHoltonと一致しないことでよしとしている。が、そうはいかない。
 Meleはさらに、同じシナリオでYes/No形式で答えを尋ねる実験を行い73%の肯定という結果を得たが、▲1、▲2は依然として当てはまる。
→Meleの論とは裏腹に、ここで提起された困難はさらなる探求を必要とする→そうだ、実験しよう。

3.実験1:様々なシナリオ

 判断違反(JV)と決断違反(RV)という二つの変数が、意志の弱さが含まれると思われる事例に対する前理論的判断にどう影響するかをみるための要員配置実験を行う。大学生97人が4つの条件のうち1つにランダムに割り当てられた。

条件1:ニューマンのダイエット(JV、RV)

ニューマンは体重で悩んでいた。医師からは痩せる必要がありさもないと近い将来心臓発作で死ぬだろうと言われている。そのうえで、彼はダイエットすることと、そのための計画を立てることが最善であると判断した。彼はよりヘルシーな食べ物を仕入れ、ダイエット指南書を買った。
 ダイエットを始めて2週間後、彼は仕事場でニンジンを食べていた。しかし同僚の一人が近所のパン屋からドーナッツを箱いっぱい買ってきた。ニューマンはドーナツ大好きで、持ってこられたのはお気に入りのドーナツだった。このドーナツのようなカロリーの高い食べ物をまったく食べることなくこの二週間やってきたのだったが、しかしニューマンは誘惑に負け、お気に入りの中からそれぞれ一つづつ食べた。後になってニューマンは、自分が最善だと考えたことに反し、やらないと計画していたことをおこなった罪悪感でいっぱいになった。

被験者はリッカート尺度(7〜1で7が「強く同意する」)を用いて次のような主張への賛成/反対の程度を示すように求められる:「ニューマンはドーナツを食べるという点で意志の弱さを見せている」。
 ここでは「何らかの」のような量化表現をやめて▲2を防ぎ、特定の行為に関する意志の弱さの主張をすることで▲1を防いだ。

条件2:クリスタベルの情事(JV、¬RV)

 幸福な結婚をした厳格な〔Victorian:偽善的な〕女性であるクリスタベルは、最近知り合ったウィリアムとの不倫に心ひかれている
それが災難を招くだろうということは知っている。人がきっと見つけ、自分の結婚と評判はダメになってしまうだろう。そこで、彼女は不倫は最善の選択肢ではないと考えた。しかし、彼女はこうした考察に心を動かされず、不倫をどんどん進めるように計画を立てた。
 週末、クリスタベルは計画に従い、夜ひそかに家を出ると、ウィリアムズと会い、ことを始めてしまったのだった。

「クリスタベルは不倫するという点で意志の弱さを見せている」に賛成/反対の度合いを尋ねられる。

条件3:ロッキーの臆病風(¬JV、RV)

 ロッキーはタックル・フットボールをしないと母親に約束していたが、ちょうど先輩から明後日の試合に参加するように誘われている。母との約束があるし、参加しないのが最善だとロッキーは考えた。しかし凄くやりたかったので、ともかく参加しようと決意した。
 しかし当日、ロッキーは臆病風に吹かれ、試合に姿を現さなかった。それは試合しないのが最善だと考えたからではなく、怖がったからだった。もし試合をするのが最善だと判断していても、やっぱり参加しなかっただろう。

「ロッキーは試合に現れなかった点で意志の弱さを見せている」に賛成/反対の度合いを尋ねられる。

条件4.キマの情事(¬JV、¬RV)

 キマは同僚のオマーと遅くまで働いている。厳しい上司について冗談を言い合っているうち、キマは自分が肉体的にも精神的にもオマーに非常にひかれてるということに気づく。
 キマは既婚で夫もよくしてくれるが、彼女は夫の気持ちのことはあまり考えていない。キマはこのまま進んでオマーを誘惑し肉体関係に持ち込むのが最善だと判断した。そこでオマーのオフィスに歩み入り、誘惑する計画を実行した。オマーを説得するのに対して時間はかからず、彼女たちはことに及んだ。

「キマは情事をした点で意志の弱さを見せている」に賛成/反対の度合いを尋ねられる。

予測

以上のデザインを踏まえると、MeleとHoltonの見解からは同意の度合いについて次のような予測が出てくるだろう。
メレ:高い:1と同じ位高い:1と同じ位高い:低い
ホルトン:高い:低い:高い:低い

結果の検討1

提示された主張に賛成の人(リッカート尺度7、65、)、反対の人(3、2、1)、どちらでもない人(4)のパーセンテージを調べる。
「意志の弱さを見せた」に賛成 反対 どちらでもない
条件1:JV、RV 賛成74%
条件2:JV、¬RV 賛成50% 反対33% どちらでもない17%
条件3:¬JV、RV 賛成50% 反対27% どちらでもない23%
条件4:¬JV、¬RV 賛成―― 反対63%

結果の検討2

各条件におけるスコアの平均値をとる。ここでも似たような傾向がみられる。(原論文の図参照)
→二つの変数の両方が現れている時、被験者は高い同意の割合をしめす。他方、両方の変数が現れないとき、同意の割合は低くなる。
 この結果は、Holtonの見解には確かに反している。しかし、Meleの見解も支持しない。何故なら、Meleの言うように「意志の弱さ」概念が選言的ならば、条件1、2、3は同じくらい高い同意率を記録するべきだ。また、この結果は純粋な連言説にも問題があることを示す。この連言説をとるなら条件2と条件3の同意率はもっと低く条件4に近づくべきである。
 以上の結果は次のことを示唆する:変数の両方が、「意志の弱さ」概念の完全で自信に満ちた適用には必要である。しかし、どちらも一つでは十分ではない。ここから、普通の「意志の弱さ」概念は、ロッシュの言うプロトタイプ/クラスター的な概念であると考えるべきなのかもしれない。どちらの変数も、「意志の弱さ」概念の適用に寄与的な役割を果たす。
▲ここで使われたシナリオは、トピックもバラバラで道徳、価値、規範的な違いもあるから、二つの変数を分離するのにうまくいっていないという批判があるだろう。
→そこで、もっと一様なシナリオを用いた実験を行う。

4.実験2:一様なシナリオ

ここでは出来る限り自然なシナリオを選び、また行為を道徳的に中立にし、サンプル数も274人と大幅に増やし、三つの異なる大学の異なる学科から集めた。

共通部分

カールは自分が覚えている限り、スカイダイビングをしに行きたいとずっと思っていた。職場の同僚二人も同じくスカイダイビングしたいと思っており、彼らコースに登録しようかと一緒に議論した。カールはスこの機会に非常に興奮した。また、もっともなことだが、ちょっと不安に思いもした。しかし、この機会についてかかりつけ医に話すと、いままでの病歴から考えてやめたほうがいいとアドヴァイスされた。カールは非常に落ち込んだが、しぶしぶよく考え、医者が正しいと結論した。最善なのは、友人たちを自分抜きで行かせることだろう。
だが、カールの心中ではこれでことが終わったわけではなかった。カールは未だジャンプするというアイデアを超楽しいものだと考えていたのだ。医者は行くのを実際に禁じたわけでもなかったし、医者からの医療診断書が必要なわけでもなかった。友人たちがコースへの登録を促した時、健康上の懸念を考えれば、そうしない方が最善だと相変わらず考えていたが、しかし登録を真剣に考慮した。――

シナリオ1(JV、RV)

――結局、彼は行かないと決心した。
 コース初日、友人たちはカールに電話し、コースに空きがあると伝え、来るよう促した。前の決心にも拘らず、カールは屈して彼らと一緒に行った。カールは事前訓練を完全にこなし、初めてジャンプした。

→被験者は、「カールはジャンプする点で意志の弱さを示した」に賛成/反対の度合いを尋ねられる。

シナリオ2(JV、¬RV)

――結局、彼はやはり登録しようと決心した
 コース初日、カールにはジャンプする不安が高まってきた。事前訓練をこなしている時、自分はジャンプする度胸をもっているか否か疑問に思い始めた。しかしそれを成し遂げるという自分の決心を心の中で何度も繰り返した。ついにジャンプするとき、カールは恐怖で一杯だった。しかし、何とかジャンプした。

→「カールはジャンプする点で意志の弱さを示した」に賛成/反対の度合いを尋ねられる。

シナリオ3(¬JV、RV)

――結局、彼はやはり登録しようと決心した。
 コース初日、カールにはジャンプする不安が高まってきた。事前訓練をこなしている時、自分はジャンプする度胸をもっているか否か疑問に思い始めた。しかしそれを成し遂げるという自分の決心を心の中で何度も繰り返した。ついにジャンプするとき、カールは恐怖でいっぱいだった。カールは、ジャンプするには自分があまりにおびえすぎていると気づき、飛行機に残って空港へ帰って行った。

→「カールはジャンプしなかった点で意志の弱さを示した」に賛成/反対の度合いを尋ねられる。

シナリオ4(¬JV、¬RV)

――結局、彼は行かないと決心した。
 コース初日、友人たちはカールに電話し、コースに空きがあることを伝え、来るように促した。しかし、カールは断固としていた。彼は友人がジャンプしている一方で家に残った。

→「カールはジャンプしなかった点で意志の弱さを示した」に賛成/反対の度合いを尋ねられる。

結果の検討

ここでも実験1同様、2つの変数の存在する場合に賛成が最も高く、どちらも無いものが最も低く、片方だけあるのは中間という結果が得られた。それぞれの条件の賛成率は互いに対して実験1とだいたい同じ関係にある。しかしこの結果には実験1の結果と実質的な差がある。
 賛成率がどの条件でも一様に約1ポイント下がっている。我々は少なくとも条件1では多くの人が賛成することを期待すべきなので、これはかなり不思議に見える。つまり、条件1においては、カールが判断にも決断にも違反しているのに、意志の弱さを示したとは考えなかった被験者のサブグループがあるように見える。
 ここでも2つの変数が被験者の反応に影響しているので、やはりHoltonの見解には反している。条件3での賛成率が条件2の賛成率より高いことから(3.54 vs 3.00)、このデータは決断による説明の仮説を支持するように見えるかもしれない。しかしこの差は統計的に有意ではない。では何がこの一様の1ポイント低下という奇妙な結果を説明するのか?
(1)異なる人々が事例の異なる特徴をピックアップしてしまっていて、この実験結果は普通の「意志の弱さ」概念に関しては何も反映していないのではないか?
▲実際被験者に自由回答で選択の説明をしてもらうと、ちゃんと「意志の弱さ」に関係する考えをピックアップしていることがわかる。
(2)カールが飛行機から飛び降りる際に「勇気」を示すという事実が、この事例を「意志の弱さ」と記述することを奇妙に思わせたのではないか。
▲2事例ではカールは飛び降りてない以上、この事実のみで同意率の低下を一様に説明されないだろう。
→道徳的に中立なケースを選んだことが、少なくとも部分的には実験1と2の結果の差に影響したのではないか? →そこで、実験してみる。

実験3 ヴァレンス

 事例2の結果の説明のためには、カールのケースのどの側面が道徳的な意味で注目されたかを考える必要がある。屈してしまったケース(1、3)でも、意図と実際に行った行為は道徳的に中立であった。そこで、意図もしくは行為の道徳的ヴァレンスの影響をみることにする。
 そのために、行為ヴァレンス(中立/悪)と意図ヴァレンス(中立/悪)という二つの変数」で要因配備実験を行う。以下の4つのシナリオが117名の大学院生にランダムに割り当てられる

シナリオ1(NI、NA)

フィルは最近フランス文学のクラスに参加している。
彼はこのクラスと、クラスが成し遂げようとしていることに深くコミットしている。ただし彼には、先生が全員が学ばなければならないと主張するフランスの古典テクストの読書を後回しにする傾向があった。それらは退屈に思えたのである。
ある午後、彼は部屋に留まってテクストを読もうと決心した。しかし友達が電話してきて、一緒に外に出ようとフィルを説得してきた。もしいつもどおりならピザを食べて映画を見ることだろう。フィルは、計画通り家に残って読書した方がよいだろうと考えたが、それを破って友達と一緒に行ってしまった。

シナリオ2(NI、BA)

フィルは最近フランス文学のクラスに参加している。
彼はこのクラスと、クラスが成し遂げようとしていることに深くコミットしている。ただし彼には、先生が全員が学ばなければならないと主張するフランスの古典テクストの読書を後回しにする傾向があった。それらは退屈に思えたのである。
ある午後、彼は部屋に留まってテクストを読もうと決心した。しかし友達が電話してきて、一緒に外に出ようとフィルを説得してきた。もしいつもどおりなら、モールをぶらつき、大量のビールを飲み、地元の移民の子供に喧嘩を売るだろう。フィルは、計画通り家に残って読書した方がよいだろうと考えたが、それを破って友達と一緒に行ってしまった。

シナリオ3(BI、NA)

フィルは最近ネオナチのグループに参加している
彼はこのグループと、グループが成し遂げようとしていることに深くコミットしている。ただし彼には、リーダーが全員が学ばなければならないと主張するナチの古典テクストの読書を後回しにする傾向があった。それらは退屈に思えたのである。
ある午後、彼は部屋に留まってテクストを読もうと決心した。しかし友達が電話してきて、一緒に外に出ようとフィルを説得してきた。もしいつもどおりならピザを食べて映画を見ることだろう。フィルは、計画通り家に残って読書した方がよいだろうと考えたが、それを破って友達と一緒に行ってしまった。

シナリオ4(BI、BA)

フィルは最近ネオナチのグループに参加している
彼はこのグループと、グループが成し遂げようとしていることに深くコミットしている。ただし彼には、リーダーが全員が学ばなければならないと主張するナチの古典テクストの読書を後回しにする傾向があった。それらは退屈に思えたのである。
ある午後、彼は部屋に留まってテクストを読もうと決心した。しかし友達が電話してきて、一緒に外に出ようとフィルを説得してきた。もしいつもどおりなら、モールをぶらつき、大量のビールを飲み、地元の移民の子供に喧嘩を売るだろう。フィルは、計画通り家に残って読書した方がよいだろうと考えたが、それを破って友達と一緒に行ってしまった。
ここで被験者は「友達と一緒に行った点でフィルは意志の弱さを示している」に対する賛成/不賛成の度合いを尋ねられる。彼らの回答はこれまでと同じ方法で測られる。

結果の検討

我々の予想通り、それぞれの条件における平均賛成率は中間点より上まで上昇した。さらにこのデータの分析からは、行為ヴァレンスの重要な役割が明らかになる。すなわち、行為者が最後に屈して行ってしまった行為のヴァレンスが悪いと、被験者はより意志の弱さを帰属に同意する傾向がある。驚くべきことに、意図のヴァレンスにはこれに対応する効果は見られず、二つのヴァレンスが相互作用する効果も見られない。
この結果によって、実験2で反応率が一様に低かったことが説明できる。また、この結果は、実験1に対する一様さの欠如による反論への批判にもなる。実験1での反応は、一様さの欠如ではなく、より道徳的な注目を浴びる事例だったことにより生じたものなのである。これにより、普通の「意志の弱さ」概念がプロトタイプ的だという本論の提案も支持される。
事例1には「道徳的」ヴァレンスとは言い難い行為もある。ダイエットの失敗を道徳的失敗とは言わない。
しかし、どの行為も明らかに、普通の人なら破るのが悪いと考えるような何らかの「規範」が侵されている。ここでみられる規範/評価的な誘導性は、ノーブ効果のような現象で一般的なファクターであるとわかっている。規範一般の侵害こそが、我々の思考の多くに広範な影響を与える最重要なファクターである。

6.結論

  実験1によりHoltonもMeleも精確には正しくなく、普通の「意志の弱さ」概念のプロトタイプ説が
データをもっともよく説明するとわかった(プロトタイプ説は実験3の結果とも整合的である。実験3では全てのシナリオで意志の弱さがみられると判断される傾向にあるが、確かにどのケースもJVとRV2つの変数が存在している。)
 実験1には一様性からの批判がなされた。この批判に応えるため行われた実験2では実験1と精確に同じ結果は得られなかったが、両者の差は、実験2の事例に大きな規範的ヴァレンスがなかったことによると仮説がたてられた。
 実験3はこの仮説に、完全ではないがある程度の確証を与えた。また実験3はそれだけ見ても興味深く、意図でなく行為のヴァレンスが意志の弱さ帰属の(少なくとも)確信度合いに影響するということが分かった。

以上からの結論:結局普通の「意志の弱さ」概念とは何なのか。

→Holtonは間違っており、意志の弱さ帰属にはJVもRVも重要である。さらには規範的ヴァレンスも重要である。ここまでのデータはプロトタイプ説が最もよく説明できる。

補足

 普通の「意志の弱さ」概念を見るということ自体が如何わしい方法だとして、このプロジェクト全体に疑念を投げかける人もいるだろうが、ふたつ言っておく。
(1)普通の人の「意志の弱さ」という語の使用についての理論に取り組むべきかどうかは別にしても、哲学者は仮想的事例についての判断を考察することで、日常概念に興味をもっている。
(2)意志の弱さ帰属の賛成/反対に関して、非常に多くの人が、期待される要因に基づいてかたまりをつくるというのは、ここには実際の概念があることの証拠である。
「意志の弱さ」と言うフレーズを用いる理論の中には、この語を特定の現象、例えばJVをピックアップする語だと明確に決めて用いる者もいる(Davidson)。我々は、普通の「意志の弱さ」概念に興味があるのか、単にJV、RV、あるいは他の物に興味があるだけなのか、はっきり自覚的であるべきである。