えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

数量分類学の登場 ヨーン (2009) [2013]

自然を名づける―なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか

自然を名づける―なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか

  • 作者: キャロル・キサク・ヨーン,三中信宏,野中香方子
  • 出版社/メーカー: エヌティティ出版
  • 発売日: 2013/08/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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  • ヨーン, C. (2009) [2013] 『自然を名付ける』 (三中・野中訳 NTT出版)

第2章 若き預言者
第4章 底の底には何が見えるか
第6章 赤ちゃんと脳に損傷を負った人の環世界
第8章 数値による分類 ←いまここ

後に「数量分類学」と呼ばれる学派を提唱したのは、カンザス大学のロバート・ソ―カルです。

  初めソーカルは分類学者になる気はないどころか、同僚の分類学者の主観的方法をしつこく批判していました。彼には生物界に関する知識も環世界センスも十分ではありませんでした。ソーカルは当時の生物学者では珍しく数学と統計学の素養を持ち、さらに生物学における数学的・統計的アプローチの素晴らしさを説く学生クライド・ストラウドにも説得され、ある時「統計的手法を用いればもっと良い分類体系が出来る」と宣言するに至ります。これはビール六缶パックの賭けとなり、同僚のミチナー教授からハチのデータを受け取ったソーカルは研究に乗り出すことになります。

  一方ロンドンでは若き医師ピーター・スニースがクロモバクテリウム属の変わった細菌に関心を持ち、分類の勉強を始めていました。細菌の鞭毛に注目し極鞭毛か側鞭毛かで分類を行う手法が良くとられていたが、クロモバクテリア属は両タイプの鞭毛を素早く変化させる事が分かってしまいます。細菌は(顕微鏡で見たとしても)環世界センスを簡単に呼び起さないのであり、恣意的な分類がとられてきたのです。

  ソーカルは、咀嚼口の長さから生息環境に至るハチの形質122個を数値的にコード化しました。ここまでは情報の収集という点で旧来の分類学者と変わりません。この後、進化分類学者はそれぞれの形質の進化しやすさを考慮に入れ、種間の類縁性を割り出すために重要な形質を「重み付け」します。リンネの時代の分類学者もやはり重み付けを行っていました。しかしソーカルは、この種の主観的な重み付け方法を完全に排し、解析にあたって全ての形質に等しい価値を与え、全体的な類似度のみに基づいた樹形図が作成されることになります。この樹形図は、ミチナーの考える樹形図とかなり類似していた上、ミチナーは違いの部分にもちゃんと意味を見出すことが出来たのです。かくして分類の手続きは完全に可視化され、分類学は定量科学へと変身しました。

  ソーカルがこの考えを口頭発表したのに少し遅れて、スニースも同じアイデアを論文にしています。

  2人は1959年カンザスで出会い、後に『数量分類学の原理』という共著が書かれました。数量分類学の誕生は高速コンピュータの浸透とも軌道を一にしており、数量分類学者はデータ解析の時間をますます削減して多くの樹形図を公表し始めました。『数量分類学の原理』には、白衣に身を包み小ざっぱりした研究者が、機械を利用して無機的に研究する風景が挿絵になっています。「科学する分類学者」です。

  分類学は自然の秩序を見る全く新しい視点を経験する事になりました。伝統的な分類学者は当然激しく反発します。これには、彼らが数学に不慣れであったと言う点もあるでしょうが、数量分類学には根本的な欠点もあったのです。あまたの形質からどの形質をコード化するかと言う点でやはり主観から逃れられませんし、そもそも形質の類似性からは進化的な類縁関係は全く解明できません。知性と見識を駆使して自然の秩序に判断を下すことこそが分類学の任務であり、コンピュータ任せにしてもどうにもならないというわけです。

  60年代後半には数量分類学は圧倒的支持層を獲得しましたが、分類学の世界全体を席巻するには至りませんでした。しかし、主観的な環世界センスを禁じる風潮は広まり、数量分類学のまいた客観性の種はその後も成長を続けます。科学者としてはこの巨大な一歩には賛辞を贈るべきですが、しかし分類学の物語は同時に、人が持っている環世界センスを簡単に捨ててしまった物語でもありました。